105 浄土 森敦著
影山勲(本社文化部担当部長)
出典:産経新聞 夕刊 平成元年7月10日(月)
 十五年前、『月山』で芥川賞を受賞、六十一歳で文壇に再デビューした著者の印象は鮮烈であった。森さんは、三十三歳から三十九歳まで、吹浦、加茂、大山、そして『月山』の舞台となった注連寺のある朝日村七五三掛(しめかけ)など庄内平野を、作品を書くこともなく転々とした。
 本書には、「浄土」「吹きの夜への想い」「門脇守之助の生涯」の雑誌に発表した新作をはじめ「杢右ヱ門の木小屋」「アド・バルーン」の五編を収録する。
 「浄土」。京城で送った少年時代、大谷という奔放な少女とワラビ採りに行った。真宗の名家に育ったこの人も、すでに休も不自由になったが、何十年ぶりかで再会、彼女から「こんど生まれたら敦さんと一緒になる」といわれる。人生の不思議な一期一会を語る。
 「吹きの夜への想い」は、山形各地の放浪を経て、注連寺へたどり着いた当初までの話。大山で世話になった若い未亡人、清美さんとのほのかで、きわどい関係を描く。
 「杢右ヱ門の木小屋」と「門脇守之助の生涯」は「暗きより生まれ、生まれ、生まれ、死に、死に、死んで冥(くら)きに至る」という空海の輪廻の思想が通奏低音として強く流れる。
 「杢右ヱ門の木小屋」は、月山山中の酒密造用と思われる小屋に案内されるだけの話だが、途中での二人の会話が面白い。雪中、日に三、四回も重い荷を背負って往復する杢右ヱ門は「背負って登れば、また背負って登る仕事ができる」というのだ…。
 「門脇守之助の生涯」の守之助は、森さんが約十カ月間、ともに過ごした注連寺の寺守である。体が不自由な彼は、自殺した名大工の兄が架けた二つの橋を再建する夢は果たせないものの、日夜箸(はし)を作ることで、懸命にそれに擬せようとする…。
 出羽三山の一帯は、湯殿山をはじめ、真言の霊場であり、真言が人々の生活の中にごく自然に生きている。著者が行き着いた空海の生と死の思想が、多かれ少なかれそれぞれの作品で、澄明に、香気豊かに小説化されている。
(講談社・一七〇〇円)
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