(文 森富子)
Part 9

62歳、第70回芥川賞、直木賞の授賞式での森敦。
 授賞式は、昭和49年(1974)2月6日、第一ホテルで行われた。誕生日が1月22日のため、満62歳になったばかりである。
芥川賞、直木賞の授賞式での、北川冬彦氏(左)と森敦。
 前掲の写真と同じときのもの。〈ぼくが青春を語るとき、筆が北川さんや多紀さんに及ばぬことはない。(中略)北川さんから非常に多くのことを教えられた。ぼくが文学を語るとき、その大部分は北川さんから教えられたものである。でないときも、その教えから発展したものである。『全集第8巻「更に更にお祝いの日を」』〉
東京12チャンネル「人に歴史あり」での、檀一雄(右)氏と森敦。
 大恩の人である檀氏は病をおして九州の能古島から上京して出演した。録画は、昭和49年(1974)11月26日に行われたが、檀氏は2年後の1月3日に帰らぬ人となった。Part3にも同じ「人に歴史あり」の一場面がある。
韓国の金鐘泌首相(左)と会見した森敦。
 昭和49年(1974)6月21日、毎日新聞の鳥井守幸特派員とともに会見した。当時、韓国とは国交が閉ざされていたためニュースとなった。〈先年、韓国の首相金鐘泌に招かれてソウルに行ったとき、周囲の者から韓国は礼節を重んじる国である。いやしくも一国の首相に会うのに、ネクタイもしないようではと言われあわててそれに見合うワイシャツまで用意してくれた。ところが、金鐘泌首相からそんな心配はしないでもと笑われたばかりではない。やがて、その写真がでかでかと日本の新聞に出たものだから、友人たちからまでなんだか君がへんなものを首に下げているので、だれかと思ったよと笑われた。『全集第7巻「わが服装哲学」』〉
注連寺にて対談後、湯殿山を参詣した小島信夫氏(左)と森敦。
 昭和56年(1981)9月4日、「文藝」に連載中の「文学と人生」の対談を注連寺の庫裡で行った。対談はPart3に載せたが、この写真は対談後、湯殿山に参詣したものである。
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