(文 森富子)
Part 13

 森敦の父・茂(1861〜1930)は、雲耶山人と号した書家。前回のPart12に引き続いて掲げる。書、落款、遺品などが、森誠氏(森敦の長兄・競の長男)の手で保存されている。撮影は、森誠氏。
 父を語った文章を以下に掲げる。
〈ぼくは朝鮮の京城、いまの韓国のソウルで育ち、幼少時代をそこで過ごした。それももう六十年も前のことだから、京城に幼稚園などなかったろうと思うひとがあるかもしれない。しかし、京城は官僚の街で幼稚園があったどころか、ママさんたちはペスタロッチやフレーベル、エレン・ケーの名を口にして、さかんに幼児教育がいかにあるべきかを、論じあっていたものである。
 ぼくも当然幼稚園にやってもらえると思い、入園の日を心待ちにしていたが、父が頑固なひとで幼稚園に行くことはならんと言った。なまじい、幼稚園に行ったりすると、保母さんに可愛がられて甘え癖がつくようでは、将来が思いやられる。おれもそうして来たのだから、塾に行って『論語』の素読を習えというのである。〉『全集第八巻「受け売りで覚えた『論語』」』
雲耶山人の手本末尾。

雲耶山人の書。「雲飛んで……」

雲耶山人の書。

雲耶山人の書。

雲耶山人の書。
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