009 庄内を書いたので次は尾鷲を
出典:新刊展望 昭和49年4月号 昭和49年4月1日
 ── 第70回芥川賞受賞おめでとうございます。受賞作『月山』が、このほど河出書房から発売になりましたのを機会に、ご近況を中心にこれからのご抱負など伺えればと思います。森さんは熊本のご出身ですが、東北に何か特別な魅力でも……。
 森 それはもちろんありますけども。私は体質的に反対で、子どもの時から北は好きで、それで北緯50度(旧樺太)に行って生活したり、まあ、だいたい十年働いたら十年遊ぼうという計画で行ったわけですけども。本当は一生遊んでもその頃は大丈夫位のお金をもっておったのに、インフレのためにいやが応でも十年位するともう残りはないという、だからまた働かなければならんということになるわけです。南の方はだいたい知っていますので、だから勢い北の方に行こうということが一つですね。
 ── 会社(近代印刷)におつとめですと、執筆は夜になるわけですね。
 森 そういうことですね。前は朝でしたけど……。いまは皆知られてしまったので、だから勢い夜になります。だからといってあまり遅くまではやらんわけですよ。翌朝、会社がありますからね。やるといったって最高10時です。だから夜はもうあまり遊ばんようにしておるんですよ。
 ── 小島(信夫)さんとか、古山(高麗雄)さんなど親しい方々とのおつきあいは……。
 森 ええ、これはもうしょっちゅうやってます。古山さんとは『月山』を書いた頃からなんです。
 ── アルコールの方は最近いかがですか。
 森 いやあ本当は非常にたくさん飲みましたけど……。最近は、まああまり飲まないようにしている。でもやっぱり四合位は……。いやウィスキー、酒、何でもいいんです。昔からぼくはこういう主義をもっていましてね。焼酎か特級酒というんです。(笑)
 ── これからの執筆予定は……。
 森 書くのはね、ぼくは土地(風土)を売ってるわけですよ。キルケゴールは「反復」というのを書いていますが、ぼくはその信者ではないんですけども、彼は非常に天才的な人で、もう着想抜群なんですね。だけど着想に終る人なんです。で「反復」の場合は昔ベルリンに行って失望するような話が書いてあるわけなんですけども、それはそういうふうに彼は哲学間題として扱かったのに、ぼくはそれを文学的に一つ反復してやろうと、文学ならできるだろうというようなことで、自分が歩いて回った風土に原点をおいて書こうと思っているわけです。それで次の風土というともう東北の庄内、日本海岸は書きましたから、次は尾鷺地方(三重県)を予定しています。
 ── これまでの風土としては、どこが一番お好きな場所ですか。
 森 どこの風土も、まあそこに溶け込んでいれば同じなんですよ。それぞれのよさがあるわけです。こんどの場合、雪が出てきますけれども、昔から雪月花という位でね。そのようなものが好まれておるというところへもってきて、ぼくはだいたい幽玄という言葉を少し論理化してその感覚とか感情とかいうもので捉えないで、もっと構造化して捉えていきたい、構造的に解剖していたい、そして解剖した上で、ある世界を作って幽玄に環元しようと思っています。だから雪月花は都合がいいですよ。尾鷲になれば太陽と海ですね。ぼくとしては愛着の土合はまったく同じです。
 ── 幽玄への興味はどのような動機で……。
 森 ぼくは好みとして万葉、次が古今、その次が新古今です。そしてどの歌も二重の意味をもっている。というのは漢字で書いて、カナ書きで読ましているわけです。だから漢字だけで読めば別の意味になるんですよ。それをカナ書きだけで二重の意味をもたそうというのが新古今ですから、そこにぼくは興味をもって幽玄の論理に入ってきたわけです。
 その幽玄の論理に、割合に雪月花など合うようだけれども、実はこれ太陽と海と山でも合うわけなんでね。だからその論理で書いたものが、開花して、作品になって、ある程度の人々の胸をうつことができたということは、ぼくとしては実に大慶至極ですね。
 ── それではこのへんで……。
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