011 浮身の62年
出典:微笑 5月11日号 昭和49年5月11日
 お、変わった。お、また変わった。
 石の上に3年? いやぼくの場合は、浮身の62年である。石の上で刻苦勉励なぞというのとは無関係で、あたりの風景が移り変わっただけの話だ。ぼくはちっとも変わらない。
 この間、某雑誌の“同級生交歓”とかいう企画で、何十年ぶりかで一高の同級生に会った。みんな、驚くほどエラくなっていたが、しかしまた呆れるくらい老人になっていた。そして、みんなが口をそろえて、ぼくにこう言った。
 「あれ、まだあの頃と同じことを言っているねえ。顔もまるで同じだねえ」
 ぼくは高校生のときから、老けっぽい顔だと言われていた。でも今は、少なくも、ぼくを老けっぽいやつと言った連中よりも若い。話題だって、はたちそこそこの女優さんと、丁々発止とやりあえるくらいである。
 要するに相手をする人間の種類が変わっただけだ。ぼくはいつも同じだ。
 40年前横光利一さんが、
 「毎日新聞に連載小説を書かないか」
 と言ってくれた。ニコニコ笑って、ひじょうに気さくな感じですすめてくれた。
 横光さんがそんな調子だったから、ぼくもべつに肩怒らせて、というのでなく書いたのだが、それが『酩酊船』である。新聞に連載しはじめたら、
 「いい文章を書いているなあ」
 と横光さんも感想を言ってくれた。横光さんや菊池寛さんも、森は必ずいいものを書いてくれる、と信じてくれたのだと思う。
 今、印刷会杜にいるが、若い人などが、同人誌をやりたいので、森さんもひとつ書いてください、なんて来る。よし短いのを書くから、前から3番目くらいに載せろ、とぼくは言う。
 そのあたりがいちばん初めに本を開いて読者の目に触れるからだ。
 いつだって、ぼくは、気がるにやっている。昔も今も肩の力を抜いて、要らんことはいっさい考えないことにしてきた。もしぼくを気にくわなければ、相手は勝手に去ったり仕事を降ろしたりするに過ぎない。
 石の上に3年、というのは、こういうのとは違う。ある小説家のように、ひたすら芥川賞をめざしてがんばって、そうして戴くのを称して言うのである。
 世は天才を別段欲していない。勤勉な努力家(!)を優遇するのである。だから、かの小説家のような人間でも、芥川賞は受賞できるのである。
 ぼくのことも、60歳すぎて芥川賞をもらった、ということで、他人が見れば、なるほどぼくは石の上に3年どころか、40年間坐り続けたことになるかもしれない。だが残念ながら、石の上に3年に非ず、むしろおどる雀は百までおどる、である。
 どうしても石の上に坐らせたいというなら生まれてから坐り放しで、あたりの風景だけがちらちらと変わったということだろう。
 いや、もう少し適切なつぶやきが闇こえてくる。その声の主はヴァレリィ(注・フランスの詩人)のような顔をして、こう言っている──
 「水泳の浮身さ、浮いているよ……ほんの微かに、下で横揺がする」(テスト氏)
 水にぼんやりと浮いて、あたりの風景の移り変わりを見てきた。今、ぼくはそんな気持でいるのである。
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