013 “構造主義”的小説作法
出典:週刊読書人 昭和49年6月17日(月)
 一月に「月山」で芥川賞を受賞した森敦氏はその後、文芸雑誌に作品をつぎつぎと発表している。その作品は生と死と自然の静謐な、隔絶された世界を描いているが、それらの作品の中でも“吹き”に代表される自然、「かての花」に描写される弥彦山の自然など、自然をよく書いているが
氏の自然観は──

 
 僕はあまり自然ということは考えていなかったんです。人からよくいわれますが、僕は地形ということを非常に重んじるんですよ。地形というものには意味がありますね。例えば、そこが真言の霊場であるというような所に行ってみますと、なるほど、杉の木もはえておれば、渓谷もあるというわけですけれども、何かしら都合のいい構造をした地形を持っているわけです。だから、神話とか伝説などというものはやはり、そういう地形をそなえた所にあるわけです。
 それで、ある地形において、僕は昔の人がこういうことを考えたのも、さもありなんというようなことに胸を打たれた時に書きますので、たまたま冬になれば、もちろん“吹き”が吹いてくるわけで、秋になれば菊が咲くわけで、川の向こうに海があって波が寄せてくれば、そう書くだけなわけです。
 それはいつでも、色即是空といってね、色というものは現象ですね。現象でしかわれわれは実体を把握できないわけですね。しかし実体は把握せんとした瞬間、すでに現象ですね。それを色即是空、空即是色と般若心経あたりではいっているんですよ。だから色であるということは空である。しかし、ほんとうは実存はあるんだというような考えを持っています。だから菊のまだ咲いているところに雪が降ってくるということの現象に興味を持ったわけで、それは非常に美しいと思ったんです。だけどあまりそういうことにとらわれてはいけないと思って、描写なんかはセーブしたわけです。だから、「鴎」を読んでも、「光陰」を読んでも自然というものを、非常に構造的に書いてはあるけれども、わりと簡潔に書いていますよ。
 
 自然を構造的に書くということは、地形と関わりがあるというが、では小説全体の構造に意味を持たせる手法とはどんなものなのか……。「月山」から、鳥海山、吹浦、弥彦、尾驚と作品の舞台が変っても、そこに流れる一貫したものがある。“反復”という概念はどのようなものであろうか。
 
 それは僕が血を吐いて覚悟をきめましたから、一連のものを書いてやろうという明らかな意図がある。「鴎」でも「ポリタイア」に「吹浦にて」として発表したものとだいぶ変っていますけどね。ちょっと事情があって初めからああいう風に書こうと思っていたんですけれども、あんまり触れたくはないんですが、僕の女房がちょっと“智恵子抄”みたいになったんです……。そこまで書きたくなかったから前はとめていたわけです。だけど、いよいよしょうがないというわけで書いたわけです。これも覚悟の一つですけどね。
 キルケゴールの反復は天才的な着想ではあったが、カフカの小説が完結せざるごとく、未完結ですね。だからそれが実現していない。しかし、小説というものはひょっとしたら完結できる性質を持っているかもわからない。だけど、反復というものがもし実現できれば、この実人生において輪廻があるということの実証です。
 反復ということは俗な言葉でいえば、「思い出」であり「追憶」であるわけです。それで僕は血を吐いた時点において覚悟をきめたといったって、それは追憶ですよね。ところが、小説というものは今ここにおって追憶しとったんでは小説にならないもんなんですよ。ある過去の一点から、さあいま歩んだ道をもう一回見てみると前途暗澹、鬼が出るか、蛇が出るか、わからんわけですよ。そういう実存の立場に立っちゃうと、どんな筋になるかもわからない。むしろその時点では確かに、あそこを書こうとかなんとかいうことになりますけれど、かえって実際思い出にあったところは邪魔になっちゃいますよ。だから、反復が非常に困るということは、演繹と帰納の根源的矛盾によって発生しているんだと僕は思う。それで、永遠回帰といっても、僕が何千年か後ちに生まれかわることがあって、ある人生の一部分を反復することができるなら、これは一つの永遠回帰とコレスポンダンスしたものであると思わないわけにはいかない。
 だから、そういう意味でキルケゴールの反復というのは、哲学においては矛盾であると一口に言ってしまえば、帰納と演繹の矛盾が起ってくるんだということを言えばということですけど、小説の場合は、一つの理想構造を持っているんですから、だいたいのことを決めて、さて歩もうと思うと、もう未来にぶつかったように、知っているような事実とか、面白い事実はなかなかそこに行ってやしませんよ。スパーッといっているのは大衆小説といえどもないんじゃないかね。だから、そのなかで、狂わないようによほど、しっかりした構造が自分の胸にきておれば筋のごときは自ら隠顕すると思っているんです。
 
 森氏が、このような反復の哲学をもつようになったのはまだ二十歳の学生のころであった。そのころ──
 
 僕は、ダンディズムとデカダニズムを信じていたわけですね。ということは、一切の意味を信じないということなんです。つまり人間に向って“ナンセンス”といいたいことなんです。それほど、ダンディなところへもってきて、禅宗から仏教に入ってきたわけです、無というような思想から。それで、禅宗なんてのは単純素朴だからやさしいとか、つまらんとかいうものじゃないんですけれども次第に構築された華厳経だとか、法華経だとかいう世界に入ってきたわけですからね。だから、構造主義ということは個々の点においての意味をなくすということなんです。そして構造によって全体の意味をもう一回つくるということなんです。もし、幾何学において、点とか線とかいうものが、しっかりした意味を持っていたら、ユークリッド幾何学であろうと非ユークリッド幾何学であろうと、構成できませんよ。だからあれをヒルベルトあたりは無定義要素というんです。黙って認めてくれよということですよ。それがゆえに健全なる構造を幾何学はとってくるのです。
 だから、そういうところで、個々の意味をはっきりと認めないで書こうとするわけですよ。僕は、近代自我というものを捨ててやれと思っているんだからね。私というものをはっきり書こうなんて意識がないんですから。むしろ、そういうものはいけないといって私に攻撃してくれる人があるならば、なるほど、見たなと思っているだけですよ、さあ、これから先きが問題だと僕はいいたいわけですよ。
 
 若き日の森氏はダンディズムとデカダニズムを信奉し、ランボー、ポードレール体験があり、その後のジャーナリズム上の沈黙があった。しかし、これについては──
 
 僕の場合は沈黙とはちがうんです。ランボーはほんとうに沈黙したようですけど。彼らも意味ありげに思っているけれども、実は無定義要素を使っているんですよ。というのは、はっきりボードレールとかランボーにおいて現われているわけじゃないけれども、そのデカダニズムという姿勢、ダンディズムという姿勢は、そうじゃなければ出ないじゃないかということですね。この世をナンセンスといってのけなければ出ないじゃないかと、僕は子供の頃思ったわけです。ところが、そういう思想が仏教にもあるわけですよね。だからそういうことが、小説に影響してきていることはまちがいない。
 沈黙といっても、文芸雑誌には原稿の注文をうけていたし、同人誌には書いていたし、いろんな友人がいて、精神的飢餓状態にないわけです。だから筆を断ったような気がしていないんです。
 檀(一雄)君が太宰(治)をつれて遊びに来たこともあった。初めは、僕の方が森で、太宰で、檀であったわけですよ。それがいつの間にか太宰で檀で森である。それでつぎには太宰は神の如く、檀は大家なるごとく、そして僕はなし。だけど僕はそんな意識はないから、檀君にあったって急に先生だなんて思いやしない。
 しかし、僕にアネクドートを求めようとしたって無理ですよ。エピソードを否定する人ですから。エピソードの中に潜りこむのはいいけど小説の中にいろいろエピソードを書くなということが僕の小説作法の鉄則なんです。それはなぜかというと全体の構造をこわしちゃうからなんです。
 
 ところで、森氏は今後はどういう作品を書いていくのであろうか。“反復”の哲学と関連してどう展開してゆくのであろうか。
 
 やっぱり僕は、念仏する人はいつも南無阿弥陀仏といっているように、日蓮宗は南無妙法蓮華経というように、同じように唱えるほかないですね。いうことが千変万化すれば、才能豊富なやつのように思われるけど、節操のないやつだということになるわけですよ。だけど週刊誌なんかに書きちらしやがって、あのやろうはいけないなんていうことは、あの中に同じ南無阿弥陀仏の態度をとっているということを知ってくれてない人ですよ。上手、下手はありますけれども。ただ今度は北の国ではなくて、だんだん南の国を書いて行く。南紀の北山川を書いていきます。そうすると、残念ながら雪は降らんです。そして、花々は咲き乱れているといえばきれいだけどあそこは杉ばっかりありまして、あんまり花もないんです。主流をなすところは“吹き”のかわりに大台が原山に向ってくる台風でしようかね。
 
 短篇集「鳥海山」の中の「天上の花」という作品は北山川を書いたものであり、その作品の中で石に興味を示している。それ以前の作品でも石になみなみならぬ関心を示している。また朝鮮人も登場する。朝鮮人に対する愛情も感じられ、少年期を朝鮮ですごした森氏の原体験もうかがわれる。
 
 石に興味を示すのは土木関係の働きしとったことが一つです。石の好きな人が石を養っているような石の愛し方じゃないんです。トンネルなんか掘ったときに、石にぶつかったらもうものすごい値受なんです。土砂にぶつかったら大変なんです。その時はあらゆるところボーリングして、すぐコンクリートを注ぎ込んで人工の石を作らにゃならんのですよ。そういう意味で石を愛している。愛しているか敵であるかわからんけどね。グリ石がいっぱいある北山川なんかシートファイルなんか打ちこんでも、あのすごい鉄板がグーッと曲がりますよ。受けつけんですよ。そういうのが好きなんです。
 僕は中学校も朝鮮です。僕は朝鮮を愛しています。いろんなことで風が吹くと波がたつのは仕方がない。しかし両国民は同じ語系の言葉を使っているのだし、あんまり波ばっかり見て海を見ないというようなことになったんじゃすまぬじゃないかというのが僕の考え方なんですから。日本語と朝鮮語の言葉の根は全く同じです。僕は神話やなんか好きですからいいますと、高天原というのは朝鮮だという伝説は、そうとう有力な伝説なんです。そういうものを踏んまえているのは事実です。
 
 ところで、森氏は芥川賞の受賞以後「週刊朝日」に「文壇意外史」を書き、テレビで歌手のインタビューをしたり、相撲番組にゲストで出たり、ラジオで身の上相談をやったり、マスコミでの活動も旺盛である。こういうマスコミのスターとしての側面を森氏はこう考えている
 
 僕の考えではテレビなんかもだいぶしぼっているわけです。僕のスタイル、ポーズってものは初めは珍らしいですよ。しかしパターン化してきますよ。しかし変身はできないわけです。それは僕のプロデューサーは僕ですから。ただ皆んなが声をあげて、顔を見たい、サインをしてくれといったときに、何を好んで小さくなって、純粋を守りますなんて声をあげたって、こんなものは僕は純粋のうちに入ってないと、思いますよ。そんなものが純粋であるというのならお安いことではなかろうかっていうんですよ。
 これで僕は勇敢で冒険心があるんですね。だから、僕はいろいろなところを見て歩こうと思っているのは当然です。NHKに行ったり、NETにいったり、文化放送に行ったりしているのは旅行しているようなものなんです。月山に行き、尾鷲に行き、弥彦に行くのとNHKのスタジオとは僕にとってイコールですからね。だからそんなものまでしなくてもなんてのは、とんでもない誤りです。同じく一貫しているでしょう。それで、一貫しているものを僕は僕自身において求めようということがあって、いわば哲学的追求なんです。初めから度胸を決めてかかってますからね、その態度たるや一貫しているわけですよ。
 だから物理的に不可能な場合はできないですけど、物理的に可能な場合はやっているわけです。僕は狭いつき合いで頑固な生き方をしてきたんです。それの裏返したようなつもりで「週刊朝日」にも書けば、「サンデー毎日」でもやるというのが出てくるんで、ほっとけば、まだまだあるんですよ。同じようにNHKもやっているわけで、美空ひばりとの間にも立ったりするわけです。これも僕の冒険心なり、勇敢なところのあらわれなんです。
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