014 わが道を行くほかに道のあるを知らず
出典:立像 通巻第34号 昭和49年6月20日
 芥川賞が決まったとき「文芸春秋」の人から、今月いっぱいぐらいはいろいろと言われるかもわからんがすぐにおさまるから心配せんでもいい、と言われましたが、とんでもない、日を逐うて忙しくなる一方です。夜なんかも詰まっていて、もう本当に無茶苦茶なんです。まったく困ったことになりました。「月山」にしろ、この齢になって格別受賞しようと思い、机に向かって頭に鉢巻きして書いたわけではない。これは絶対にそうではあり得ないことなんで、ただ朝、ひとより早く起きてワラ半紙に書いていた、それが「月山」であり、いままでに出来たものであるんです。
 とにかく、いい齢をしてこんな目に遭っていますが、あんたらに言いたいのは、あんまり本気にならん方がいい、ということですね。本気になってものを書いて一ぱつ取ったりでもしたら、あと身
が保てん。まあ、ほどほどのところでやっておかんと、これはえらい目に遭いますよ。
 いまも言ったとおり「月山」を書くときは、本気になったわけでもなかった。けれども書く気になったら、とたんに「季刊芸術」と「文芸」が載せたいと言って来たんです。三日違いで「季刊芸術」の方が早かった。これが反対であったら、「文芸」に「月山」が出、「季刊芸術」に「天沼」が出る、ということになったでしょうね。それはともかくとして、ぼくは「月山」より「天沼」の方が、自信があるな。
 いま歌っている小坂明子ね、あの歌は「あなた」かな。ああいうふうに自分で作詞して、自分で作曲して、自分が歌っているというのは、言うてみれば乞食の歌ですね。門づけの歌ですよね。同人雑誌をやっているというのも、結局はそんなものですよ。ただここで気をつけなくちゃならんのは、周りの目がひかっているから、うっかりしていると目につけられる、だれかにスカウトされてしまう、ということですね。あんたらも陽の当たるところに出るんだったら、出るような構えをしなけりゃならん。けれども同人雑誌というものは、陽に当たろうと思ってやるのではなくて、なんとかして陽に当たるまいと思ってやる、しかしやりたいことはやろう、そういう覚悟を決めてやるべきでしょうね。
 あんたらは小説を書いていて詰まったとき、どうしますか。なんとかしていいことを書こうとして苦心するでしょう。だが、ぼくはほかの人と違って、うまくいかんと思ったら平気で飛ばしてしまう。詰まってしまうところは、才能がないんだと思っているから、書かんでいるんです。あとはどうでもいいんじゃないか、われに時間を与えよ、さらば書かん、という態度なんです。だから、結局、ぼくは詰まるということがない。いつも言うことだけれども、この齢になったら、いいものを書けといわれても無理だし、まずく書いても構わんといわれてもまさかまずくは書けん、書けといわれればソコソコのものを書く。週刊誌もそれで引き受けたんです。大体、本当に悪かったら向こうでおろしますよ。いまなら多少悪くても載っけてしまうでしょうが、これでは本当に載ったことにはならない。いずれにしても、こちらが心配せんでもいいことなんで、結局はどうやっても自分以上にはなれないし、また、なれないということに覚悟を決めておけば何ぞ恐れんや、です。
 いま同人雑誌をやっている人を見ていると、戦わざるにすでに恐れているところがある。かつてぼくは柴田(斯波四郎)氏に、立ち姿を持て、と怒ってやったことがあった。それで「立像」といら名前をつけたんで、立像はすなわち立ち姿ということなんです。とにかく立ち姿のない人間に、やれ、やれとけしかけても無理ですよ。テレビなんかに行っても、戦わざるにすでに怖じ気づいてしまっているのがいるものです。しらが頭の上品な顔立ちをしたいい爺さんが、出る前に深呼吸をしたり額を叩いたりしている。聞いてみると、どこそこの研究所長といった立派な肩書の人なんですが、それで何が出来るのかと思っていたら何も出来ない……。
 テレビをやる前に、プロデューサーがいろいろ要求してくるものですよ。こうしてほしい、次にはああしてほしい、とね。だがぼくは、ああ台本なんて要らん、と言ってやるんだ。あんたらみたいな頭で考えていることが受けて立てないようで、一体、小説なんか書けるのか、ということですよ。台本で一度やったら、本番では情熱がなくなって死んだものになってしまうからね。ぼくは小説の場合だって同じです。まったくのぶっつけ本番で、ザラ紙に書いたままで出している。
 だがね、ぼくは、ゆくゆくは書くのをやめようと思っているんです。といっても、まさかタレントになるわけじゃあない。けれども小説家になるのも、それから評論も、やめようと思っている。書く才能がないんだね。小説の才能があるというのは、井上ひさしみたいな人です。どんどん書いていて平均点をとる。こっちはああいうふうに小説が書けない。書こうとしたって書けやせんし、また書く気もない。いま連載小説をやらんかという話もあるにはあるんだが、大体、ぼくが連載小説を書けると思いますか。だれが見ても書けるとは思えないでしょう。小説がうまいというのは三島(由紀夫)だね。小説的才能がある。ぼくはこの人のものを読んだことがない、一つぐらい目を通したことがあるだけだけれども、それだって上手でしたよ。この人は大スターだったな。短いのを頼まれたら短いなりに、長いのを頼まれたら長いなりに、ぴしゃっときめてくる。うまいものだったらしい。そこへゆくと、ぼくなんかスターに程遠いじゃないですか。
 大体ぼくは、日本の文壇の形勢がああだ、こうだと考えたことはないですねえ。自分のことしか考えちゃいないですから。だから他人の小説を読んだことがない。自分の知っている人のものしか読まんから、徹底して読んでいないわけですよ。また、読んだ人の意見も聞こうとは思わんです。小島(信夫)氏の書いたものは読んでいるけれども、これは小島の原稿を読んでいるだけなんで、これでは小島の小説を読んだことにはならないでしょう。それから同人の、あんたらのものは知っているけれども、ほかの人のを読んだことはない。たとえば井上光晴のものだって、一行も読んだことはありません。この、読まない、というのは子供のときからなんです。井伏鱒二などは好きだし、第一人者じゃないかと思いますが、とにかくその時代から、有名だった人のでも読んだことがない。まったく読まないこと、まさに驚くべきものがあるな。つまり、わがままなんです。ものすごく我が強いんじゃないですか。そしてこれからも、周囲を見回してどうするというようなことは金輪際、ないんじゃないですか。わが道を行く、という言葉があるけれども、ぼくは、わが道を行くより他に道のあることを知らず、です。
 この、小説を読まない、ということについてははっきりした理由があるんです。自分の知っている人だったら批評してあげることも出来るし、それからその人の顔や貌を知っているから、あの人がこういうことを書くのかという、小説とその人の間がわかる。人間の研究にもなるんだね。ところが如何にえらい小説家の小説であっても、ぼくにとってその人は無縁だから物体にひとしい。その小説がどんなに立派であっても形骸にひとしいから、拝みもしなければ、見もしません。いい小説だと聞かされてもそうかなというだけで、見もしないから反対のしようもないわけです。だから、ぼくが誰々の小説は悪いといったなどということは、あり得ない。はじめっから読んでないんだから……。ぼくは、これで押し通して来たし、今後も押し通すでしょう。その心得ですべてやって行くつもりです。
 ぼくは「文芸春秋」にも書いたように、キルケゴールの「反復」は失敗だったと思っています。キルケゴールは、それからニーチェもですが、両方とも天才的着想を持っている。二人とも着想の人なんで、体系の人じゃないんです。だからあの「反復」は、着想には富んでいるけれども十分に完成することが出来ていないんだ。この癖はカフカにもあるな。カフカのは、どれを見ても未完のものしかない。キルケゴールも、ある意味では未完です。それからニーチェも、いやニーチェの如きは未完までもいかない、断章ですよ。本来なら、ニーチェが考えたことをキルケゴールに入れればいいものが出来る筈なんだ。が、二人とも孤独でやっているでしょう。だから本当の、哲学的な体系を持つというわけにはいかなかった。天才的ではあるけれども、ソクラテスやデカルトなどのようにはいかなかったんです。デカルトは、えらい哲学者ですよ。「方法序説」は、まあ解析幾何学の序文みたいなものでしょう。その解析幾何学なるものがなかなか大変なものなんで、あれはもう体系どころじゃない、偉大なものです。
 ぼくの思想、ということになればもともとはダンディズムとデカダニズムです。このダンディズムとデカダニズムが反思想的思想になるわけだ。ダンディであるというのは、言っててみれば無意味である、ということなんです。たとえば寒かったら、寒くないように厚着をすればいいので、何か垢抜けした格好をしようとして無理する必要はない。そこには根源的な意味がないのですから……。デカダニズムだってそうです。なにも女たらしをやるのがデカダンじゃないし、また、こちらはそういう柄でもない。消極的思想の否定なんだ。積極的否定なんだ。だから、ぼくのは反思想的思想なんです。ぼくは、割り合いに他人の思想を受け入れる方でしょうね。けれども本人は、相当ゲバ棒的な人間になっている。全学連と共通する要素があるんじゃないだろうか。なにを言ってもナンセンスという点でね。裏返せばそういうことになりはせんですか。
 ぼくは齢をとってもいれば、いろいろな本を読んでもいます。大昔の仏教の本などは、本当に読んでいると思っています。いろいろなものを受け入れる、この反思想的思想が不思議に、禅宗に結びついたり、仏教に結びついたりしている。だからといって、ぼくは坊さんじゃないんです。ぼくは数学が好きですが、これも実はそこから来ているんです。数学は、左翼の人も右翼の人もありはしない。つまり反思想的思想だから好きなんです。
 最近、よく雑誌の記者などが来てぼくを「先生」とよぶことがあるが、ぼくは先生なんかじゃない。これは若いときからなんだが、人に「先生」と言ったこともないんです。志賀直哉といえども、先生とよんだことはなかったし、菊池(寛)さんや横光(利一)さんみたいな、あんなにぼくが厄介になった人でも「先生」といったことはありません。川端(康成)さんだって「川端先生」などと呼んだことはなかった。ぼくは人に「先生」と言うのはいやだし、ひとから言われるのもいやなんです。それで一貫して来ているんです。
 特別な人と特別に仲よくなればその人がよくしてくれることは間違いない。ぼくはそれがないが、全体によくしてくれることは確かですね。たとえば部屋で、独りで原稿を書いていると、どこかの奥さんが、ご馳走が出来たといって持って来てくれる。そして奥きんばかりではない、いつの間にかご主人までも、やってあげろということになる。どこにいても、そうでしたね。なにかそのへんに、世渡りの極意のようなものがあるかも知れませんね。
↑ページトップ
森敦インタビュー・談話一覧へ戻る
「森敦資料館」に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。