016 ナンセンスという思想
出典:新日本 第九巻第七号 昭和49年7月1日
今日まで森さんを取り巻いてきた“環境”ということについて、どう考えられますか。
 
──むしろ僕は環境があるからというのではなく、環境を保とうとしていますからね。已むを得ないかぎりは。だからできるだけ会杜であろうと、なんであろうと、こっちは順応していません。自分の世界をもってますからね。向こうが順応していますよ。
……というふうに心がけていますね。
 それは実際、環境が僕をつくろうとすると同時に、逆に環境をつくろうとする実存において、僕はあるのですから。小説もそういうものです。
 
一高時代に、小説を書いてみようという気持ちになられたのは?
 
──いや、ならんです。
まわりの人たちが、書いてみないかと言ったんです。付き合いが深くなってきて、それじゃ原稿でも書いて、もってくると言ったわけですけど。……そしたら原稿などみてる暇はないと(言われ)。どうしてかと言ったら、人相みたらわかるんだというんです。
それが真相です。
 だから、僕は原稿を持って、せっせと通ったということは全くない。
ただ、小説とは何ぞやということは、横光さんなんかにはでかいことを言ってましたからね。
 一言でいえば、好きなことをやってきたということです。だけど好きなことをやっただけでは小説にはなりませんからね。それを表現することはできませんからね。
 好きなことをさせまいという力があるわけだからね。その間に僕は居るわけです。それを実存というんです。
 
「月山」を小説のテーマに選んだ動機は?
 
──順番なんです。
 僕は住んだところを、一つずつ書いていこうという志を立てて、書いていって、ちょうど「月山」が月山の順番になったわけです。
 ただ、月山は非常に好きな山ですからね。正体の知れないところがありますからね。それで好きなんです。もう歳も、六十二ですから、もう一回人生をわたってみようということですよ。それがいわゆるキルケゴールの反復という哲学です。
 
森さんにとって“生きがい”とは何ですか。
 
──日々これが生きがいですよ。
小説も、うまく書けるか書けんかわからんですよ。記憶から袋だたきにあうかもわからん。それにあえて挑む、これが生きがいです。
 試験がむずかしいから、やろうかというのと同じような生きがいです。
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