017 これから 作家 森敦
出典:日本経済新聞 昭和49年10月4日(金)

 森さんの書斎は、書生が下宿するような木造アパートの四畳半。秋の風が隣家の竹やぶを鳴らして、ここを吹き披けていく。
 昭和の初め、旧制一高時代の小説が菊池寛や横光利一に認められ、いったんは文壇にデビューしたが、間もなく筆を断つ。以来四十年間、一所不住のデカダン生活の後、芥川賞で再登場。すでに還暦を過ぎていた。
 「デカダンとは、反思想の思想を徹底してみること。無意味であることに耐えてみること。そのためには、世俗的な人生を降りなくてはならない。私は一高を中退した時に降りてしまった。いまさら乗り込むつもりは、さらさらない。自分の生き方に徹するだけだ」
 明快である。うじゃじゃけた叙情はみじんもない。殺風景なこの四畳半も、その明快さを無言のうちに証明している。こういう人が「自由」を口にすると、迫力がある。「読書も体験も、すべて一度は忘れてみること。知らずに身に着いたもの.だけが本物」ともいう。反教養主義的求道者。
 「せんじ詰めると、死生観だけが残る。生と死の境界線は死の方に属する。したがって生は果てしないものであり、死はそこで近づこうとする者を限りなく遠ざける。いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんである。願わくば、美神と死神の力を借りて境界線を越えてみたい」。再登場の覚悟であろう。部屋を吹き抜ける風が快かった。
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