021 20歳の頃 想い出のふるさと
出典:別冊いんなあとりっぷ二号 昭和50年1月10日
 当時東大の学生であった僕は、夏休みを利用して奈良に遊びに行った。大仏殿の大屋根を見下ろす二月堂の近くのうどん屋に入リ、焼きアツアゲうどんを食べていた。そこに二月堂の札売りが入ってきて面白い話をしてくれた。先日、二月堂の札売り場に三十過ぎの男が現われ、札を引いた。出た札が凶。男は二月堂の回廊を一周してまた札を引いた。またしても凶。男はまたも回廊を一回りして札を引く。そしてまたも凶。その男は札を引くこと二十数回。ついに大吉を引き当て喜んで帰っていった。札売りはあきれ果てた、と苦笑していた。しかし僕はその話を聞いても笑えず、その男の人生での成功は疑いないものと思えた。また僕の文壇における四十年間の沈黙もこのようなところに負う点が多い。
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