026 “わが失業時代”を語る
出典:サンデー毎日 三月二十三日号 昭和50年3月23日
 僕の人生の半分は失業の身といえます。と言っても、自ら望んだものだから、流民というべきでしょうか。
 昭和七年に一高を中退して十年間なにもしないでブラブラ遊んでばかり。その後、光学関係の会社に勤めましたが、十年してこれもやめてしまいました。十年間も働いたんだから遊んでも食べていけるだろうという軽い気持で、僕の借りていた小さな部屋に人を集めて酒を飲んでいたんです。そしてまた十年目、人の世話で電源開発に臨時要員で入りました。臨時にもかかわらず大変な仕事、とにかくダムをひとつつくったんです。
 そして再び十年目、その会社もやめて東北の田舎をブラブラしていたら、ちょうど十年目に金がなくなり、近所の人が工面してくれた二十五万円を持って上京、印刷屋へ。ここも十年たったのでやめようと思ったのですが、あちこち借金をしているので簡単にはやめられず現在にいたっています。
 十年ずつの区切りというのがクセになってしまいましたが、いまいる印刷屋は当分やめられそうもありません。
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