044 きもの男義
出典:花影 ‘76/新春号 昭和51年1月1日
○オカッパ頭がステキですね。
いやあ、昔はこんなじゃなかったんですよ。このごろは、トレーニングパンツにトックリのセーターでゴロ寝専門ですが、若い頃は、髪もきりっと手入れをして隆としておったものですよ。
僕が文壇にデビューしたのは比較的早く、その頃、久留米絣が流行っていて遊びに来た檀一雄や太宰治らも同じような恰好をしておったなあ。
あの細まかい亀甲模様の─でなければいけないんだ─ふっと匂う藍の香、キバッとした木綿地の腰、いかにも書生と文壇の間にいた当時の僕らのういういしさを包むにふさわしい清潔さが想像できるでしよう。
 
○男のおしゃれは……。
鴎外の小説にも、何枚も同色同柄のきものを作って、いつも同じようなものを着ている男が出て来るが、こういうのが昔の男のおしゃれだった。千変万化がもてはやされる現代とはえらい違いだな。
久留米を着る時は素足に下駄、結城などにはきちっと足袋をはいて上等のセッタ。足袋の繕ったものをはくのがいやで、穴があいたらはき捨てでしたね。今とは較べものにならんくらいおしゃれでしたよ。
 
○女の子ときものは……。
いつも正月と成人式の日を心待ちにしとるんだよ。この日とばかりに若い娘がきものを着るのはほほえましい。着なれないから、ぎこちないなんて言われるけど、それはそれでいいんだよ。化粧も髪も洋風で振袖なんか着ると、フランス人形みたいにかわいくてうれしくなるね。
若いもんは内股にも歩けん…なんて意地悪く言うバアさんもいるが、昔はきものが歩かせなかっただけで、おしゃれ心は昔も今も変わらんよ。
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