047 サラリーマンの悩み相談室
出典:現代 一月号 昭和51年1月1日
■学歴の差別に耐えられず、職場を捨てて大学進学を志す私。
 母子家庭の長男である私は、大学進学をあきらめ、高校の推薦で都内の百貨店に就職しました。それから七年、妹は高校を出て公務員になり、弟は私立大の法科に合格し、奨学金とアルバイトで通学のメドが立つようになりました。
 ほっと一息ついて、しみじみ考えさせられるのは、自分の学歴です。有名人がいかに学歴無用論を唱えようと、現実に社内で大卒と高卒の待遇は、ひどい隔りがあります。一例をあげれば、管理職への昇進試験資格は、大卒の入社三年に対して、高卒は十年。普通、新人の大卒と四年目の高卒が同じ給与ベースになるものですが、わが社は定年まで差がついたままです。大卒なら能力がなくとも最低係長職までいきますが、高卒はヒラ止まりが常識です。
 腹立たしいのは待遇面だけではありません。社員食堂の壁には○○大学OB会、××大学同期会などのビラがびっしり。大学卒にあらざれば人にあらずという雰囲気です。
 勤め始めてから必死に貯めた金が、やっと百万円を超えました。今から受験勉強をやり、大学に通いたいと思います。再就職のことを考えると、まったく自信がありませんが、こんな気持ちでズルズル働くことには耐えられません。どうしたらいいでしょうか。
(沢田義雄・25歳・百貨店勤務)
 
回答 森敦 (作家)
 
 あなたの場合、私の生き方とは同じでありませんから、私のいうことをそのまま受け入れられないかも知れませんが、コンプレックスや腹立たしさを解消するための大学入学なら賛成しかねます。
 人間には、人生の大学というものがあって、実際に大学を卒業しても、人生の大学をみつけられない人は、世の中に大ぜいいるのです。弟さんや妹さんを育てた上、コツコツ貯金をして、いまだに向学心を燃え立たせている君は、すでに人生の大学に入学した人だと思うのです。
 私は京城中学から旧制の第一高等学校に入りましたが、学校にあきたらず、途中でやめてしまいました。その時、自分に言い聞かせたのは、今後一切、学歴に頼るまい、学歴によって栄光の座につく者を羨むまいということでした。
 その後、私は十年働いて十年遊ぶといった生活を繰り返し、三度も就職しましたが、それが可能だったのは、学歴を放棄したからだと思います。なまじっかの学歴があったら、それ相応の待遇をしなければならないから、私のような者を傭ってはくれなかったでしょう。
 私が体験した会社は、いずれも学歴が幅をきかせ、正規の大卒と私とでは、まさに雲泥の差でした。しかし、私はコンプレックスを持たなかったし、むしろ学歴があるために、出世を焦り、神経をすりへらしたり、上役にへつらう連中を、面白く眺めたものです。
 最後の決断はあなた自身がなすべきですが、ただ一つ言いたいのは、学ぶということは、決してそういう点から出発すべきではないということです。老婆心ながら、それだけが気になります。
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