075 文学的趣味で淫する 『私家版 聊齋志異』
出典:週刊読書人 昭和54年4月9日(金)
 中国の清代の蒲松齢作の怪異小説集で、中国の三大奇書の一つといわれる『聊齋志異』を材料に芥川賞作家の森敦氏が森氏流にアレンジして書きあげた『私家版 聊齋志異』(菊判、二五〇頁・二八〇〇円・潮出版社)がこのほど刊行された。そこで、森氏に『聊齋志異』との関わりや“私家版”執筆の経緯などについて語ってもらった。(編集部)
 『聊齋志異』は子供の頃から興味を持っていました。改造社から、「世界大衆文学全集」が出ていまして、その中で田中貢太郎さんの訳で読んだ時に非常な感銘をうけたわけです。それで、逢う人ごとにそれをすすめていたんです。詩人の北川冬彦さんがそれで続んだという随筆を書いています。もちろん、当時からいろんな訳がありましたが、特に田中さんの訳は、はしょった訳でしたが非常にいい訳だったということで僕に感謝すると北川さんが言ってくれたぐらいで、いかに僕がそれに傾倒していたかということがわかるわけです。
 最初は単純になんとなく怪異譚として面白いというふうに考えていたんですけれども、だんだんいろいろものを考ええるようになって、あの中の宗教観に興味を持ちました。聊齋は何宗教でもないんです。それでまた何宗教でもあるんです。いわゆる孔子の怪力乱神を語らず、という言葉がありますが、支那の小説は概して怪力乱神を語っている。そのために稗史といわれて馬鹿にされていたわけですが、こっそり民衆の中に流布していたんでしょう。
 それで、僕はあの当時、『聊齋志異』の中でも、あの世とこの世、幽界と顕界ですね、これが対等にあるんですね。それから、狐とか、花の精とかが、全く人間と対等に描かれている。子供も産めば、恋愛もしてくれる。
 そういうことに興味をもっていて、たまたま柴田天馬さん、増田渉さんなどの立派な訳が出たわけです。それらを読んで見てそういう思いが強くなった。
 それは、聊齋の創作も多少あるんだろうけれども、あれは集めたものだということなんです。そのために、あの当時、いろんな宗教が混在しているんだけれど、聊齋は何宗教でなければならんという立場をとっていないんです。稗俗な民俗、民衆が信ずるままに、それらをそのまま受け入れて書いているわけです。あれだけ豊かに受け入れ収録してきたということは、その当時を知るのにとても都合のいいものになっちゃったんじゃないですか、結果としては。そのために、明が滅びて清朝が勃興してくるあの時代を横軸にとって、歴史を縦軸にとっていくと、何か新しい断面が出てきはせんかと思って、いろいろ置き直してみよう、そうすると、別の面の聊齋が出てくると思ったんです。
 『聊齋志異』というのは美しい四六駢儷体で書かれているかと思うと、突如として俗語稗語が出てくるわけで、普通の漢文の力じゃとても無理で、ものすごくむずかしいんです。とてもじゃないけれども、文章の上においてもう一歩抜きん出て翻訳するということは不可能で、従来の訳に頼らざるを得なくなったわけです。事実頼っているんですけれども。
 だけども、あの当時の革命時代に置き直して、僕なりの趣味で、僕なりの考え方で、それを置き並べてみたら、何か一つ筋が通るんではないかと思って、ちょび、ちょび「潮」に連載したわけです。それに手を加えて出したのがこの本です。だから、自ら愛蔵本として読んでおればいいわけです。しかしながら、高山辰雄さんが挿絵を書いて下さるということに勇気を得て書いたわけです。
 聊齋というのは、作者の蒲松齢の書齋の名前なんです。この人は、本当は清朝に対して心よからぬ気持を持っているんです。といっても主義としての叛骨じゃないんです。だから自分自身は清朝になんとかして用いられようとして進士の試験を受けるわけです。子どもの頃は秀才だったんですが、何回受けても入らんわけです。頭に白髪が出来るようになってから、奥さんから無駄な努力はよしなさい、平俗の中におれというようなことを言われて、やっとあきらめたということで、今の受験問題、受験地獄にからまって聊齋というのは必ず出てくる男なんです。
 これが清冽な革命家で、激しく清朝に反抗するというような人であれば、あったで面白いかもしれませんけれども、そうでないためにいろんな思想をそのまま受け入れているわけです。それで、その当時の人ですから、一元描写とか多元描写とかいう描写の方法がありますが、それが無茶苦茶なんですね。それもほんとは面白いんですが、今の視点、描写の視点というものを僕は新しく置き換えて、一度書き直して見たわけです。それは良かったか悪かったかわかりません。それに聊齋自身の伝記も加味して書いたわけですが、何しろ膨大な本ですので、とても一冊じゃ言い尽す、書き尽すっていうことは出来ないわけです。僕としてはまだまだ不本意なところがあって、もう少し手元において、聊齋に淫してみたいと思ったわけです。あえて作るというわけではないけれども、ある章は、一つの長い物語のなかのある部分をとったものもあります。また、三つ四つの物語を合成して一つの物語にしちゃったのもあります。そういうアレンジは私なりにしております。それがもし多少でも成功しておれば、僕としてはありがたいと思っているんです。
 『聊齋志異』は何編あるのかもわからない膨大なものですが僕としてはそういうことを考証していくというんじゃなくて、僕自身の文学的趣味によって淫してやろうと思って、それで、しばしの楽しみを僕自身が得たいと思ってやったのであって、それが人々の楽しみにまでなってくれたら嬉しいと思っているんです。それが、“私家版”の所以です。だから聊齋に対して大変失礼なこともしちゃったし、あやまるところかも知れません。
 小説家というものはひたすらクリエイティブしていかなければいけない。だけれども、聊齋というものがありますので、あまり極端なクリエイティブをしたくないという気持もあるわけです。他の翻訳と同じことにならないように、文体は僕の文体で一貫したわけです。むしろ聊齋の文体を考えないでやろうと思ったわけです。これもまあ、聊齋がだんだん好きになって、淫してきたあらわれです。
 昔から聊齋を好きになってくると必ず淫するという言葉があるんですよ、中国に。それほど好きになってきて溺れるということです。そのまさに淫したやつの一つで、もし功罪があればそれは淫したことによるわけです。
 『聊齋志異』にはよく白蓮教徒の話が出てきますが、聊齋その人は、白蓮教徒の妖術なんかに興味を持ってその現象をありのままに書いているんです。僕は白蓮教の歴史、その流れによってだんだん発展させていけば面白いと思いますね。それで時代がああいう混乱期で、叛乱を起こすには何か大義名分がなくちゃいけない、その大義名分を宗教に置くということは現代でもありえます。宗教叛乱というのはいまだに興味のあることです。だから、それを代表しているものが白蓮教徒ではないかと思って、僕は、白蓮教徒を、この本においてはほとんど一貫して用いたわけです。聊齋でにおわしてある以上のことはやっていないんですが、あるいは白蓮教徒で筋を通すということは、ほんとは、聊齋という人の性格を目覚めさせることかもしれないし、あるいは冒とくすることかも知れません。しかし、そういうような見方を勝手にさせるような広さが聊齋の中にあったということです。
 とにかく、この本は聊齋に対する子供の頃のノスタルジアがあって、そういうノスタルジアで書いたことと、高山辰雄さんが絵を描いてくださるということに勇気を得たということの二つで出来上ったといっていいと思います。(談)
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