098 わがふるさと
出典:読売新聞社 昭和56年5月10日
 「苓北町(天草郡)の『苓』は漢方薬の甘草のことで、つまりアマクサ(天草)の北という意味なんですね。内海をへだててすぐ前が長崎で、風景、気候とも実にいい。魚がまたうまくてね、いまも取れるかどうか、昔はアササバといって、朝からサバの刺し身を食べてた。大体、天草は熊本の隠居所と呼ばれているくらい住みよい土地なんですよ。
 とくに小さいころの記憶に残っているのは、海岸べりにきれいな洋館が立っていたこと。南方から帰ってきた“からゆきさん”たちの家だったんです。それと、曲崎という海中に突き出た砂嘴につらなる松林。天の橋立そっくりのみごとなながめでした。
 それが、この間、随分久し振りに訪ねてみたら、洋館はもう一軒も見当たらないし、残念なことに松林も松食い虫にやられて、ほとんど全滅状態になってるんですよ。松は、これから全部植えかえるという話で、一日も早く昔の美観が戻ってくるのを願っています」
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