099 身一つ流木に似て
出典:読売新聞 夕刊 昭和56年5月21日
 話に、年月日がない。
 「年月を忘れることは、精神衛生上いいことなんですよ。自分がどんなにジイさまか、人に言われるまで気がつきませんから」
 六十九歳。「今年は五十二年か五十一年かも、わからなくなる」。
 東京・市谷の自宅、黒のセーター姿が台所に立って湯を沸かす。
 十九歳で毎日新聞に連載小説<酩酊船>を書き、以後、四十年間、音なし。“幻の作家”であった。
 「欲するままに生きる」日々は、「十年近く一生懸命働いて、十年近く遊んで暮らす」繰り返し。
 逝(い)った病妻が、「会社やめてくれ、やめてくれという人なんです。とにかく、そばにおってくれと。おる以上は、好きなところにおった方がいいではないかと」。
 山形で「チンチロリン(松ぼっくり)や海の流木拾ってたきぎにし」、訪ねてくる知己と文学を語り、酒を飲み、「乞食(こじき)三日すれば忘れられないと同じことになります」。
 四十四年、「人生よ再び、反復による永遠の回帰をねがって」、筆を執る。
 四十九年、<月山>で芥川賞。「小説は“こんにちは”で始まり、“さようなら”で終わるべきものと思っている。人生はこんにちは、さようならですから」。
 <月山>の延長として、「仏教の精神に連なる<乞食(こつじき)記>を書きたい。乞食は、いつも全財産持って歩いて、不自由はない」。
 旅立ちは、いつも、「何でも入ってる」カバン一つ。流木のごとく。          (広)
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