112 マイ・ホビー
    たくさんあるライターと灰皿は趣味というより必需品
出典:ふたりの部屋 第4巻第5号 昭和57年9月1日
 私とタバコとは切っても切れない仲だ。18のころから吸い始め、ふだんの日でも100本、原稿を書くときなどは200本ほどのタバコを灰にしている。
 どこへ出かけていくにしてもライターを、それも2つから3つは持っている。1つだけでは、不安なのだ。また、家にはどこの部屋にも必ず1つや2つは置いてある。ヘビースモーカーの私には、ライターはいくつあっても多いということはない。
 だからであろうか、私へのお土産といえば、ライターと灰皿が多い。トヨタからは、1936年、日本で初めて作られた車を模したライターを、フォードからも1908年製の車型のライターをもらった。
 トーチ型ランプをかたどったものはブリヂストンからのものだ。自分でも地方などに行くと民芸調のライターは必ず買ってくるようになった。
 そんなふうになんとなくライターが増えてくる一方、灰皿も同じようにいくつも集まってきた。その中でいちばん思い出深いのは、カツラノハイセイコーをガラスに彫った、灰皿である。これは、第46回日本ダービーでカツラノハイセイコーが優勝した記念に作られたものだ。その記念すべき日に、私はたまたま生産地の鮫川牧場に行っていた。と、テレビを見ている私の前で、カツラノハイセイコーが先頭でゴールインしたのである。それからというもの、私は鮫川牧場では幸運を連れてくる男だと呼ばれるようになったのだ。
 灰皿やライターは趣味で集めているわけではなく、私にとっては必需品である。だから、いたるところに置いているのだが、それでも百円ライターやふだんよく使う灰皿のほかは半ば趣味のものになっており、卓上で置物風に鎮座している。(談)
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