116 ものの“価値”はいつも自分のうちに
出典:はあと 57年11月号 昭和57年11月1日
 かつて「はあと」に、ご登場いただいた外部の著名な方々をお訪ねして、ご近況や「はあと」へのご助言をいただくことにしました。
 この機会に、かつていただいた珠玉のお話を反すうするのも、時をへだてた自己の“所在”を見直すよい機会かもしれません。
                                           (はあと編集室)
編集室 ご無沙汰しております。いつぞやのインタビューの時は、有難うございました。
森 敦 いやいや、こちらこそ。いまでも「はあと」が来る度に、懐かしく思いますよ。
── 見ていただいていますか?「はあと」。
森 ええ。
──それは有難うございます。少し、ご批評をうかがいたいのですが……。
森 あまり感想は、ないんですけど……。
──もう少しきびしいところで……。
森 感想がないということは、私が「はあと」に、なじんでいる、ということですよ。なじまないと批評するでしょう? 何でも。編集の考えが、誌面で、よくわかりますから。なじんでみると、あまり批評しなくなるんですね、人間て。たとえば、好きな作家、絵描きでも同じですけど、なじんでくるとね。そういうことは、マンネリになるから、いけないという人もいるんですよ。でも、僕は、そうは思わないんですね。粗雑なもの、嫌な感じのものは、全くなじまないんですね、僕は。最初、慣れないでいても、段々なじんでくるものってあるでしょう。自分の家だって初めて住んだ時には、居心地が、それほどいいものじゃないんで、しばらくするとなじんでくるわけです。ちょっと、あそこが悪い、ここが悪いというところがあっても、それが気にならなくなってくるんですね。だから、ある人は、批評しろとおっしゃるけど、読者が批評しなくなった時、編集者の意図が、よく出てきているというものなのですよ、雑誌というのは。
──あー、そういう見方もあるのですね。勉強させていただきました。ところで、最近はいかがですか。相変らずルポやらで、お忙しそうですが。何か、大きなお仕事にとりかかられましたか?
森 いいや、なかなか。「月山」を書いてから、そろそろ10年近くなるのに、ずっと忙しいんですね。なかなか、まとまったものが書けなくて……。
──でも、10年も余韻が残るというのは……。いかにも先生らしくて……。そのうちに、実がうれて……。
森 松の実が落ちるように……(笑)なるといいですが……。
 でも書く仕事、少しは始めているんですよ。「文芸」への連載を。ほかにもひとつ。
──長いお仕事になるのですか。
森 ええ。ひよっとしたら、命のある限り、やるかもしれません。
──それは、すごいですね。その間に、何かまとまるかもしれませんし……。
森 夏、月山へ行ったんですよ。僕の碑が出来たから、というんで。
──文学碑というやつですね。
森 ええ。で僕が字を書いて。注連寺の境内に出来たんです。人が沢山行っていましてね。僕は、当時、付き合った村のじいさんやばあさんと会えることを楽しみに行ったんですが、土地の人は、遠くから人が沢山来てると遠慮しちゃうんですよ。あの大きな寺が、人でいっぱいになったんですよ。だから。
 でも、せっかく行ったので、出羽三山の湯殿山、羽黒山、月山の8合目まで登ってきたんです。
──それは、よろしかったですね。
森 田舎の人は、帰る時に、トマト持っていけとか、キノコ持っていけとか言うので、ご好意がよくわかるから、沢山いただいてきました。野菜でも地酒でも穫れる土地でたべるのは本当においしいです。ただ、もてなしになると、どこへ行っても、都会で食べるのと同じ料理になってしまうんですね。豪華に振舞うと。
 僕としては、その土地でとれるものを、ソバがとれるならソバだけ、つくってくれればそれで充分にごちそうなんですが……。だから、豪華にされるとかえって「月山」に来たことにならないんですね。
 天草に行った時も、あそこは、鯛がものすごくうまいんですね。だから、いろいろ出してくれるよりも、小さいお皿に、上等の鯛の刺身だけをスーッと上手に一皿盛って来てくれた方がいい。そしたら、半分くらい酒飲みながら食って、あとは鯛茶漬か何かにして……。
 講演旅行だったんですが、本当に何もいらない、その方がいいからって、わざわぎ頼んでおいたのに、やっぱり大きな舟みたいなのに全部出て来てしまったんですよ(笑)。
──便利になりすぎて、先生の思っておられるようなことを余り考えなくなってしまっているんですね。我々も、よく、その場その場で、“価値”を選択するようにしていないと大変です。大切にしたいですね、そういうこと。
森 何でも、ものの“価値”は、いつも、自分のうちにあるわけです。
──みんなが自分で、いい“価値”を選択していかないと、いいものの“価値”が世の中に残っていきせせんね。
 以前のインタビューでも、そういう先生のお気持がすごく伝わってきました。
森 実は僕の一番好きな「鴎」の話をされるものだから、ここで「鴎」の朗読のテープを流して聞いてもらいましたね。よかった。
──ジン、となりました。あの時は、本当に。
 今日は、旅でお疲れのところを有難うございました。短いお話の中でも、やはり先生らしいお話をお聞かせいただき、よかったと思います。
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