118 相点  形を念じる  森  敦
出典:実業の日本 新春特大号 昭和58年1月15日
 友人からこんな話を聞いたことがある。
「貨物輸送機の胴体についている窓は、描いた画なんだよ」と。
 この話を別の友人にしたところ、彼も「いや、原子力商船にも煙突がついているという話もある」と、教えてくれた。
 この話には、何ともいえないユーモアがあって、ほほえましい限りである。たしかに、貨物輸送機に本来、窓など要らないはずである。原子炉で動力を得ているのに、昔、石炭をたいた名残りの煙突など、誰が考えてもおかしい。建造費もそれだけかさむし、空気抵抗もそれだけ多くなるから、省エネルギーに反する。それでも、煙突をつけるのは乗組員の要望なのだそうである。
 これを、形式主義とか懐古趣味とけなしてしまうのは、いとも簡単である。しかし、それだけで片づけてしまっていいものだろうか。
 私は、そこに人間的な味わいを見出す。先日、羽田空港で窓のない輪送機を見たが、なんとも無気味な感じだった。あれは、もはや航空機というよりマシンであった。おそらく、煙突のない原子力商船を見ても同じような感想をもつにちがいない。
 世の中、ときにこの種の形が必要なのである。
 人の気持ちも、外見的なもので大きく変わっていくものだ。朝、出社したときに、「お早うございます」という挨拶をした場合としない場合とでは、一つの課の雰囲気がまったく違ってくる。
 このことが最もよく効いてくるのは、ほかならぬ自分自身に対してである。私の知っているあるセールスマンは、不調になると、必ず自分自身に「お前はかつて全社でトップになった実績があるではないか。がんばれ!」と号令をかける。もちろん、一度や二度ではない。調子が出てくるまで毎朝、起きたらすぐいい聞かせるという。彼自身、自分の胴体に窓の画を一つずつ描いているのである。これが全部、描き終わると、自分自身にファイトが湧いてくるという。ファイトが湧いてくれぼ、業績もおのずからよくなってくるのである。
 これを自己暗示というのだろうか、私は暗示にしては高級だと思う。一種の自己開発である。自分に形をつけることによって、その形に沿って自分を開発していくのである。
 総理大臣でも社長でも、就任した直後はなんとも板についていない。それが一年たってそれなりの形がついてくるのは、つねに自分でその形を念じているからである。
 私はときどき、ラジオ、テレビで人生相談を担当している。相談する人はじつに真剣に心境を吐露してくれる。その中で、比較的多いのが「現在の彼とはもう長いつき合いで、二人は将来設計までたてあった仲だ。ところが、最近、彼に別の好きな女性が出来てしまった。私はいまでも彼が好きなのですが、どうしたらいいでしょうか」という「心変わり」の相談である。
 ある時、私は相談者に「そういう男は嫌いになりなさい」と答えたことがある。当然のことながら、彼女は「どうすれば彼が嫌いになれますか」と聞いてきた。そこで私は答えた。
「軽蔑しなさい。そういう男はいくら軽蔑してもたりませんから、軽蔑しきることです」
「どうすれば軽蔑できるようになりますか」
「これまであなたが直面した彼の一番嫌なことを思い出すことです。無理しても思い出すことです。必ずあるはずですから」
 こうして、電話は切れた。それから二ヵ月ほどたって、彼女からまた電話がかかってきた。
「もう完全にふっきれました」
「それはよかった。ふっきれるのに一番力があったのは、何でしたか」
「先生にいわれた通り、相手を軽蔑しきったのです。そしたら、ほんとうに嫌になってきました。そのうち、そういう相手に夢中になっていた自分が嫌になってきました。もう大丈夫です。どうもありがとうどざいました」
 私は、このときも自分で形を念じていくことの大切さを思った。
 サラリーマン社会では、白分の意と反することにしばしば遭遇するものである。その相手は千差万別だから、これといって一つの有効な手段があるわけではない、ただ、一つあるとすれば、自分の気持ちである。自分で形を念じることを身につければ、相手に応じてその形を変えていけばいいのである。
 このことは、不遇におちいったとき、とくに有効である。不遇を嘆いて仕事も手につかないとか、仕事をなげ出すということは、およそ愚かなことである。それは、自分に「敗北」というレッテルを貼ってしまったようなものである。そんなとき、自分の思う方向のレッテルを貼ることである。前向きの形を念じることである。そうすれぼ、胴体に描いた窓が飛行機を生き生きさせてくるように、あなた自身も生き生きしてくるにちがいない。
 昭和五八年という年は、紆余曲折の年だと思う。それだけに、自分の形を念ずることを身につけていただきたい。
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