120 マイ・サイドライふ
    黙って座って「美しい目覚め」 森 敦さん(作家・71歳)
出典:読売新聞 夕刊 昭和58年3月5日
 奈良の瑜伽山(ゆかやま)の頂上に、十年近く住んでいたことがある。しょうしゃな数寄屋、枯れ山水、奈良の全景を見晴らせる景勝の地であったから、多くの学者や作家が訪ねてきた。森さんはその度ごとにお茶をたて、話をした。
 「ぼくは善財童子みたいなもの。特定の師匠はいないけど、ふれ合いはたくさんあった。ぼくが横光利一さんの弟子だと書いている人もいるが、ほんとうはどっちが師なのかわからない。よく森さんのたてるお茶はどうしてうまいのかと聞かれました。毎日おいしいお茶をたてようと、一心に考えて工夫しました」
 若い日の遊学ぶりをほうふつとさせる。森さんにとって瑜伽山はすみかであるだけでなく、瑜伽とは何かを思索する場でもあった。
 「瑜伽とはいま流行のヨガのことなんですよ。ぼくは逆さまになったり、ねじったりはしない。黙って座るだけです」
 森式ヨガは、一風変わっている。
 まず抹茶ならぬ紅茶を一杯、また一杯と飲む。そうして、おもむろに書斎の壁や書棚の前で座禅する。ソファにもたれていてもよいという。時間と場所を選ばず。変幻自在。恍惚(こうこつ)境に入っていく。
 「いわば神がかりですよ。それも毎日の訓練でしょうね。紅茶を飲むのも心機高揚のためで、悪くいえば興奮剤です」
 世界の禅者、鈴木大拙さんは、禅(座禅)をやるには華厳経を学べといった。森さんは華厳宗大本山東大寺に一年ほど住んでいた。
 「結局、華厳の境地は恍惚感と心機高揚なんです。人間が朝起きて日がよく照っていて、明るい朝を迎えると、目覚めは何ともいえない気持ちになる。お釈迦さまはある日、夜明けにはっと気づいた。それを大いなる目覚めという。われわれも小さいながら、天気に恵まれると、瞬間的恍惚感に入るんです。ぼくは原稿の締め切りが近づくと、瑜伽をやる。すると、華厳でいう美しい目覚めに合致するようになり、書く意欲が出てきて、一気に書くんです」
 森さんは毎月「月山抄」を文芸誌に連載している。奈良から月山へ。それは華厳から真言への思想遍歴なのである。
写真・鯵坂 青青 
文・増永 俊一 
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