131 三寒四温と人間ののびやかさ
   朝鮮育ちが語る
   体験的朝鮮論
   森敦
出典:朝鮮・韓国を知る本 昭和59年2月25日
 私自身も含めて、戦前、朝鮮で生まれたり育ったりした人は枚挙にいとまがないんですよ。作家でいえば、亡くなった梶山李之がソウル、後藤明生が元山、五木寛之が平壌、とかね。中島敦もそうだね。日野啓三、それから古山高麗雄は新義州だね。
 朝鮮半島というようによく言うけれども、まったく大陸的な感じなんですね。大陸的気質というか、心がとても広やかで、ものごとに頓着しないで非常に居心地がいい所です。朝鮮の人でも、たとえば両班の階級の人なんか、鷹揚でのびやかな性質を持っている。日本にも、両班に匹敵する貴族階級はあるわけですが、もっと人間がゴツゴツしてますよ。
 だから、ぼくが朝鮮という風土から習ったものは、三寒四温と、人間ののびやかさです。僕のようにかつて朝鮮にいた人で、朝鮮に対して悪感情を持っている人はいないんじゃないかと思う。自分の故郷ぐらいに思ってる。ところが、日本がそこを占領して皇国皇国だといってやっつけられるとね、びっくりしちゃうわけです。僕らはそこに住んでいたわけで、非常に朝鮮に同化させられてたから。
 朝鮮の人の色彩感覚はあざやかですね。女の子が正月に着るセットンチョゴリの配色とかね。朝鮮の諺文(オンモン)と女の服装は世界一だとH・G・ウェルズが言ってますよ。
 建物でも、私が通っていた京城の学校の裏に崇正殿という大門があって極彩にきれいに色を塗ってある。朝鮮ではその塗りと色を“丹青(タンチョン)”というけれども、奈良の都の枕詞“青丹によし”はそこからきてるんですよ。東大寺の戒壇院にある四天王像にもその丹青のあとが残ってます。ものすごく細密な絵で驚きます。
 着るものでもね、ブルジョワじゃなくても着物は汚れてない白いものを着てる。おもしろかったのは、奥さんたちが世間話をしながら朝から晩まで洗たくしてたことです。洗たくの仕かたは、一回石鹸を入れて煮て棒でたたく。麻は煮れば煮るほどきれいになる、まっ白になるんです。そして夜になると、遅くまでカラコロカラコロと着物を砧で打つ音がする。昼は洗たく、夜はたたいて、いつ寝ているのかと思いますよ。
 でも、朝鮮の女の人には頭の痛くなるくらい美しい人がいますね。
 男の人もね、働き者ですよ。街角にチゲクン(背負う人)というのがいて、人の荷物を運ぶんだけど、のんびり座っていて日本の赤帽みたいに“持たしてくれ、持たしてくれ”とは言わない。お客がくるまで、タバコでもくわえてゆっくり構えてる。終日そこに座ってるんです。怠け者ではないから頼むと山のように荷を積んでくれる。サボらない。一見勤勉じゃないように見えるんだけどね、どこの街角でもボーッとしてるから。
 朝鮮行って、仕事なくって人が町にボーッと座ってるのを見て、これは大変だといった人がいたけど、それは違うんですよ。仕事があれば働く。日本でも土木工事やってるのは朝鮮人が多いけど、ものすごく一所懸命やりますよ。
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