135 企業は第2の大学
出典:リクルートブック '85 就職情報 九州版 昭和60年9月21日
 私は10年遊んで、10年働くを繰り返して人生を送ってきた人間ですが、働く時は一生懸命働いてきました。10年しか勤めない。だったら手を抜いてやろうと思う人もいるようだけれど私は逆。10年しか勤めないのなら、その間、できるかぎりのことをしようと考えた。
 だからどこでも辞める時には惜しまれながら辞めた。ずいぶん引き止められもしました。
 私は企業というのは第2の大学だと思う。仕事のこと、人間関係のこと、学ぶことは多いでしょう。なにも勉強は大学でだけするものではない。会社には会社として学ぶべきものがあるんです。
 だから会社に入ったら新しい学問をさせてもらうんだと思いなさい。働いてやってるんだと思えばイヤにもなろうが、勉強をさせてもらうんだと謙虚な気持ちで臨めばイヤになんかなりませんよ。
 逆に見るもの、聞くもの、出会うものが新鮮に思えてくる。そして多くを学ぶようになってくる。それが本人を幸福にするなによりの手段です。
 それから、会社に入ることだけを目的と考えてはいけませんね。会社に入るだけでは仕事はできない。会社に入ってから、自分がどんな仕事をするものか、どんな仕事とめぐり会うのか。そこまで考えなくてはいけません。
 会社に入って自分の仕事とめぐり合ってこそ、就職したといえるのであって、会社に入るだけなら就社にすぎません。
 社会に出るとは勤めるということ。仕事につくということ。会社に入るという意味ではありません。その違いをよく考えて悔いのない生き方をするべきでしょう。
 私もずいぶん他人とは違った生き方をしてきましたが、どんな時でもやりたいことを精いっぱいやってきた。だから何の悔いもない。私の生き方は参考にならないにせよ、悔いのない生き方をするのが一番いいと思っていますよ。
〈プロフィール〉
 1912(明治45)年、長崎生まれ。旧制一高文科在学中に校友会誌に処女作を発表して菊池寛に認められる。その後、横光利一らと交友を結ぶが、19歳のときに「東京日日新聞」に連載された「酩酊船」を発表して以来、40年近く筆を絶っていた。73年、友人に勧められて書いた「月山」で第70回芥川賞を受賞。受賞当時61歳で同賞受賞の最年長記録となった。
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