140 花の面影
森 敦
花=井川悦導
出典:ゆうゆう倶楽部 昭和61年4月1日
半世紀近い昔のこと、露をふくんだ花を見た。冷たい座敷で何を語り合ったのか、そして茶席の道具も忘れてしまったが、花の色彩だけはほのかに覚えている。
 東京にもまだ情緒が残っていた頃の話である。女の部屋を訪ねると、白磁の花入に青い花が活けてあった。その目のさめるようなコバルト・ブルーは、あたかも清楚な白系ロシアの少女を見る想いがした。
 私は花の名前をなにも知らなかったので、「これは龍膽(りんどう)か」と当てずっぱうに問うた。すると女は涼やかに笑って、その一輪を指で折り取って「トルコ桔梗(ききょう)」と答えた。その部屋に漂っていた、花の気配を今でも思い浮かべることができる。
 その女は、花を活けることに熱中していた。二時間でも三時間でも、眺めて飽きぬ様子で花と戯れていた。紅梅、佗肋(わびすけ)椿、雪柳、連翹(れんぎょう)、額紫陽花(がくあじさい)、鉄線(てっせん)、鹿子草(かのこぐさ)、白雁皮(がんぴ)、宗旦木槿(むくげ)、女郎花(おみなえし)、河原撫子(なでしこ)、秋海棠(しゅうかいどう)、藪椿……四季の花の思いを聞くように、日がな暮らしていたのである。
 くだくだしい過去のことなどは、すでに忘れてしまったと思っていた。それがこの年齢になって、半世紀の前のことが鮮明に浮かび上がってくるのか、我ながら不思議である。


  過ぎにしはほとほと忘れ生きる身に
   勿忘草(わすれなぐさ)の花咲きにける (窪田空穂)


 男が女に花を贈る。それを活けて貰って、菓子と茶と道具を楽しみながら寂然たる空気に漂っている──こんな時間の過ごし方は誰しもの心のなかに影を落としているものだ。床の間に吾亦紅(われもこう)が活けてあったこともある。そのとき、私は女の意志を感じたが、席を離れてしまったのである。


  恋すてふ浅き浮名もかにかくに
   立てばなつかし白芥子(げし)の花(北原白秋)


 罌粟(けし)の花は、ちょっと指が触れただけでもはらりと散ってしまう。そうした危うさと痛々しさが、その場にはあった。
 それから何年も経って、私は電車の窓ごしに彼女の姿を見かけたことがある。あまりに若妻風の艶やかないでたちに、思わず目をそらさずにはいられなかった。その眩しさは、初夏の畑に咲くコクリコの面影があった。
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