147 偏食とくすり好き 森 敦
出典:看護 第三十九巻・第十四号 昭和62年12月
 私は,幼少の頃から病弱であった。食べものの好き嫌いが激しく,とくに果物と野菜が嫌いであった。
 母は結婚前まで看護婦をしていたので,私の偏食には気をもんでいたようだ。
 小学校の時であったと思うが,なんとかして私の偏食を直そうとして,母は,スイカを1切れ食べたら5銭あげると言った。その頃,10銭あれば昼めしが食べられたから,5銭は私にとって大金であった。スイカは食べたくないが5銭はほしい。私はスイカの赤いところは残して,皮の青いところだけを食べた。母はほとほと困り果て,かわりにスイカ糖(スイカの汁をしぼって煮っめたもので,黒くてネバネバしていた)を食べさせた。母は,野菜や果物を食べないと壊血病になるといってこんなにしてまで食べさせたかったらしい。
 偏食を補うつもりというわけではないが,私はくすりが大好きである。だから医者もくすりをたくさんくれる人を選んでいる。今でも1日何十種類のくすりを飲んでいる。友人に言わせると,私は,くすりを飲んでいるのではなくて食べているそうだ。その友人は,そんなことをしていると,いまに大へんなことが起こるぞと心配してくれる。それぞれがどんな効用を持つくすりなのかさだかではないが,私は,くすりはすべてビタミン剤だと思って飲んでいる。これだけ大量に何種類ものくすりを飲んでいると,それらのくすりの相乗作用で効きめがなくなるのではないかと思っている。
 私のくすり好きは中学生の頃から始まった。中学1年の時,顔面神経痛を患い,以来75歳の今日までアスピリンと太田胃散を毎日飲んでいる。太田胃散を飲むのは,アスピリンは胃を傷めると聞いたからである。朝夕2回1錠ずつ飲んでいるが,朝起きた時,1錠飲むと頭がすっきりとさえてくる。アスピリンは血管拡張の働きがあるそうだ。
 こんなことがあった。以前,脳梗塞で倒れた。すぐ入院したが,3日目には起きて動くことができた。その時の看護婦さんは,入院1日目から,「リハビリを始めましょうね」と手足の運動を開始したので,そのせいもあると思ったが,医師の説明では,長年アスピリンを常用していたので,それが効を奏して軽い症状ですんだのではないかということであった。
 この年まで生きていると,いろいろなからだの変調が出てくるものだ。十数年前,私は喀血したことがあった。血がバーッとほとばしるように出ると,少量の血であっても,大量に見えるもので,私はあわてて病院に行った。その病院では,あらゆる検査と産婦人科を除いた各科で診てもらった。
 アスピリンを長期間常用していることを言ってあったので,担当医は胃の粘膜が相当傷めつけられていると思ったようだ。したがって,胃カメラの時には「胃から化けものが出るかもしれませんよ」と言われたが,胃にもなんら異常はみられなかった。その時検査だけしか受けなかったのに,その後喀血はなく無事過ごしていたが,10年前再喀血があり,病院に駆けつけた。年配の看護婦に今までの経過と前回の検査のことを話すと,彼女は,「アッ,わかりました」と言って,今までお会いしたことのない若い医者を連れて来た。そして「気管支を調べましたか」と尋ねられた。「まだその検査は受けていない」と答えると,「気管支鏡検査をしましょう」ということになり,その検査の結果,気管支からの出血であることがやっと判明した。
 私は常々,経験を積んだ看護婦は若い医者より正しい判断ができるのではないかと思っている。長い間にいろいろな症状の患者を看ているので,“勘”が働くのであろう。この時も看護婦の機転で救われたわけである。
 前述の脳梗塞の時の入院中も看護婦さんには大変にお世話になった。個室に入院していた時,「森さんは作家だから大部屋に入ったほうが,話し相手もでき,周りの患者の病状や入院の状況もわかってくるので,役に立つのではありませんか」と親切に助言してくださった看護婦さんもいた。
 母からは「偏食はからだにわるいばかりでなく,偏食をするということは,ゆくゆく人の好き嫌いをするようになる。だから偏食をしてはいけない」といつも言われていた。
 残念ながら,この歳まで果物と野菜嫌いは直らないままだが,幸い人の好き
嫌いはないようだ。これも母のおかげと感謝している。    (作 家)
     ──これは同氏へのインタビューをまとめたものです──編集部
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