006 明治生まれの“新進作家”
出典:読売新聞 昭和49年1月17日(木)
 “六十代の帰り新参”森さんは伝説につつまれた人物である。師の横光利一にも影響を与え、小島信夫、斯波四郎、今官一氏らが文壇にデビューするさい陰の力となったといわれる。一高在学中、漁船に乗り組んで各地を放浪、樺太(サハリン)では原住民ギリアークの中で生活もした。  
 記者会見にあらわれた森さんは、伝説にたがわず、小島信夫、古山高麗雄、三好徹氏ら作家を同伴した。開口一番「新人ではないということで賞をいただけないかと心配したのですが、今さらという気持ちはありません。菊池さんにもいろいろお世話になり、横光さんもこの賞の最初の選者だったでしょう。実にうれしい。横光さんとはよく飲みに行きました。ボクはそのころ年よりふけてみえて三十代にみられましたねえ」と昨日のことのよう。檀一雄氏や太宰治と交友があった。奈良の東大寺に仮寓(かぐう)していたころ、志賀直哉がよく来たが、対等に話した。今にして思えばなまいきなヤツと思われたかもしれませんねという。
 ところが、当時、新進作家、天才作家といわれながら発表したのは日刊紙の一面連載小説「酩酊船」だけ。“口三味線”で文学仲間を敬服させていた。
 戦後も紀州や東北地方を体験して回り、尾鷲のダム工事では社長と間違えられたり、労務者三人分の賃金をもらったり、大物ぶりを発揮した。
 昭和四十四年、同人誌「ポリタイア」に発表した「吹浦にて」で再デビュー。
 受賞して困ったことが一つある。年齢が明るみに出ること。間もなく六十二歳。芥川賞では最年長の受賞者である。再び書き始めたのは周囲からすすめられたためだが、「過去のある時期を現在とみたてれば、キルケゴールではないが人生を反復できる」から。
 「原稿は、朝早く電車に乗って山手線をぐるぐる回って車内でサラ紙に書くんです」と笑う。
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