013 人 第70回芥川賞を受賞した森敦氏
出典:熊本日日新聞 昭和49年1月18日(金)
新潟日報、神戸新聞、中國新聞、宮崎日日新聞、埼玉新聞、信濃毎日新聞、
東奥日報、京都新聞の各紙にも掲載
 小島信夫、三好徹の両氏を同道して記者会見の席に現れた。重々しい登場である。受賞作には「いまさら六十歳を過ぎた新人に」というような声をはねつけるくらいの力があったと評価は極めて高い。
 「古くから菊池寛や横光利一など芥川賞ゆかりの先輩を知っていたので、今度の賞は抵抗なくもらえました。うれしいと思います」
 ただ一つ心配だったのは、年齢が明るみに出ることだったそうだが、旧制第一高等学校在校中から文学を志していたというから、文学とのかかわりは驚くほど長い。横光の紹介で新聞小説「酩酊船」を書いたのが昭和十年。その直後、芥川賞が新設されるから何か書け、と薦められたが、持ち前のゆう長さがたたってか、その後、作品を書くのをやめ、奈良、東北と放浪の生活を続けた。
 「人がやることはなんでも一通りは経験してみたいと思い、いろんなことをやりましたよ。幸い、友人には恵まれていましたし…」
 ものごとにこだわらない性格をしたって、周囲には常に文学の仲間が集まった。檀一雄、太宰治と連夜、銀座を飲み歩き、“三悪”の異名をとったこともある。インタビューの席でも、細かい略歴を聞かれると「それは小島さんのほうが詳しい」と記者をたびたび、煙にまく。「年齢は忘れたかった」というのが、「酩酊船」から三十年余の空白を隔てて、再び筆をとる決心をした動機にもやはり年齢がからんでいる。
 「もう残り少ないですから、いよいよ観念しました。ある過去を現在として書き、人生を二度踏んでみる気になったのです」
 いわば再起第一作の「月山」のあと、筆に弾みが出てきたらしい。もともと熱中しやすいタチ。「これからは逆にブレーキをかけて、躍起にならないよう気をつける」という。
 中学時代、全国中学柔道大会に出場し、かつて柔道界の一世代を築いた木村政彦氏(熊本市川尻町出身)に決勝で負けたというエピソードをもつがん丈な体に低俗をきらう精神がひそんでいる。スケールの大きい新人の登場と言っていい。六十一歳。原籍は天草郡苓北町富岡。長崎市生まれ。
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