017 48年度下半期 芥川賞の特色
出典:朝日新聞 昭和49年(1974)1月22日
 昭和四十八年度下半期の芥川賞は、森敦、野呂邦暢の二氏が受賞。直木賞は受賞者なしと決まった。
 こんどの受賞で、まずめだつのは、受賞者の高齢化がいよいよ深化してきたことである。ここ数年来、芥川賞の受賞者は高齢化しており、二十代の作家はひとりも出ず、三十代の前半で受賞するのもめずらしくなってきている。こんどもその傾向は破れず、三十六歳の野呂氏が受賞したばかりか、森氏の六十一歳という、芥川賞の最年長記録まで生まれる始末であった。また、候補者の顔ぶれをみても、四十代が三人、三十代の後半が二人、二十代は二人という高齢化であるし、直木賞候補にいたっては、三十代後半の一人をのぞいたあとの七人は全部四十以上という有様である。一昨年、この欄で文壇の高齢化現象に触れた際、未来の樋口一葉には、養老院のおばあさんがなる可能性さえあると書いたおぼえがある。あれは少し誇張のつもりだったのだが、こんどの森氏の受賞は、それに近い。花咲かじいさんの文壇登場にはおどろきを禁じ得なかった。
 それに、受賞した野呂氏が、長崎県諌早市に在住しているということとも、注目すべきであろう。地方在住の作家が芥川賞をもらったのは、これまでにも、後藤紀一氏や丸山健二氏の例などがあり、とくにめずらしいわけではない。が、こんどの直木賞候補で、康伸吉氏と古川薫氏が下関市に住み、滝口康彦氏が佐賀県多久市に住んでいるなど、西日本在住作家の台頭がめだっているのである。
 小説を書くということは、孤独なな仕事であるけれど、それを支え、守りたてる情熱が、集団によってつちかわれることは、白樺派や新思潮などの例をあげるまでもあるまい。どこかの喫茶店か飲み屋へゆけば、同好の士が必ずいて、文学論を戦わせる、といった場の空気が作家に力を与えるのだ。ところが、東京には、すでにそういった作家を育てる苗床はなくなっており、かえって地方に残存しているようである。したがって、そういう地方では、まだまだ文学的情熱はさかんであり、西部作家の台頭も、そのあらわれなのであろう。
 しかし、こんどの受賞でもっと注目すべきは、受賞作の傾向だろう。森氏の「月山」は、出羽の霊山である月山の山ふところにある荒れ寺で、人生につかれた男が雪ごもりをする日々を描いた作品である。これは、分類でいうと、志賀直哉の「城の崎にて」や、尾崎一雄の「虫のいろいろ」などの心境小説に属すとみなされるようだ。つまり、身近の雑記に託して作者の心境を示すという、私小説の一種である。また、野呂氏の「草のつるぎ」は、作者の自衛隊員時代の体験をもとにして描かれた体験小説とでもいうべきものであるし、受賞は逸したものの、選考委員たちに好評だった、日野啓三氏の「此岸の家」は、まったく私小説の手法で、夫婦の交渉を描いた作品なのだ。
 こうした伝統的な作品が評価され、津島佑子氏の「火屋」や太田道子氏の「流蜜のとき」などの新傾向の作品が採られなかったのは、むろん直接には、文学的完成度の高低のせいであろう。が、選考委員たちの気持ちが、新傾向をきらうほうに傾いているフシもうかがえるのである。たとえば、野呂氏の「草のつるぎ」は、前回受賞しそこねた「鳥たちの河口」にくらべると、ずっと伝統的な文学に近づいた作品になっており、ここまで後退しないと芥川賞はもらえない、という見本になったような印象を与えるのだ。
 ここ数年、文芸雑誌は難解小説が全盛であった。古井由吉氏の芥川賞受賞あたりからはじまって、森万紀子氏、高橋たか子氏、津島佑子氏といった女流の難解小説がもてはやされ、山田智彦氏や森内俊雄氏などの私小説作家までが難解派に転向する、といった状況であった。が、これらの難解派が本物の文学となりきれずもたついている間に、文壇は早くも見切りをつけて、伝統文学へUターンしはじめたのではないか。お先走りのようだが、どうもそういう気配が感じられるのである。むろん、これは文壇ならびに文学愛読者の高齢化という現象と無関係ではあるまい。
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