018 今日の問題 文学老年
出典:朝日新聞 昭和49年(1974)1月22日
 第七十回の芥川賞を愛けた森敦氏は、当年六十一歳だそうだ。ごく若いころ、新聞に小説を連載したことがあり、現役の作家たちとも交際があるというから、必ずしもズブの「新人」とはいえぬかも知れぬ。
 だが、これまで、ほとんど若い新進に与えられて来た芥川賞を、六十歳すぎた人が得たというのは、極めて珍しいことであり、その受賞に対しては、心から喜びを表したい。
 かつて、作家を志す人々は「文学青年」といわれた。その名にふさわしく、大部分が若者たちだった。彼らは貧しく、明日の生活にも事欠くのが普通だったが、身銭を初って同人雑誌を出し、それに作品を発表した。「苦節十年」というのが彼らの合言葉で、三十歳をすぎても続ける人はあまりいなかった。
 ところが、いまは大分事情が違う。同人雑誌は相変わらず各地で発行され、それを足場に創作活動を続けている人々も多いのだが、かつてのような「青年」は少ないのである。三十代はむしろ若い方で、四十代、五十代もざらになった。つまり、同人雑誌は、いまや「老年」のものになりつつあるといえる。
 といって、作家志望の若者がいないのではない。いや、作家というものが、昔のように清貧に甘んじている文士ではなく、テレビのタレント並みの知名人になっている現在では、作家にあこがれる者は以前よりふえているくらいだ。
 ただ、彼らが小説を書くのは、創作衝動や表現意欲にかられて、というよりは、立身栄達への近道として、のことが多い。だから、彼らは、同人雑誌などという金のかかる、まだるっこい方法は好まず、もっと直接的な雑誌の懸賞などをねらう。一種のギャンブルである。
 こうした状況の背景として、いまの若者たちが、いわゆる「映像の時代」に生まれ、文字、つまり活字文化には極めて弱いことがあげられよう。彼らの国語表現能力の低さは、すでに各方面から指摘されているし、彼らの多くは、過去の文学上の名作も、すべて映画かテレビ、あるいは劇画ですまし、小説はそれらのシナリオとしか見ていない者もいる。
 人間の思想や情緒、あるいは情報の伝達の手段として、文字──活字が絶対的であると断言はできないが、文学というものは、文字があってこそ成立する芸術である。
 文字よりは映像に親しみ、読むことより聞いたりながめたりすることの得意な子どもたちがすべて成人した時、文学はなお、いまのような形で存在し得るだろうか。文学の終焉(しゅうえん)をまじめに唱える人もある。六十一歳の森氏の受賞はその意味で極めて暗示的である。
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