019 よみうり寸評
出典:読売新聞 夕刊 昭和49年1月22日(火)
謡曲「鉢木(はちのき)」の佐野源左衛門のせりふをかりると「あら面白からずの雪の日やな」である。東京で七十一日続いたカラカラ天気を終わらせた低気圧は、一転して太平洋岸に激しい風雪をもたらした◆関東の雪は雷を伴いつつ夜になって再び猛烈に降り積んだ。水分の少ないサラサラした雪だったが、鉄道や道路を凍らせ、交通をマヒさせた。江戸時代なら、かえって「宿かせと刀投出す雪吹哉(ふぶきかな)」(蕪村)という手もあっただろうが、現代はみんながそうもいかない。雪にもろい太平洋岸の町に住む者の悲哀である◆関西人は、上にアクセントを置いて「ユキ」と言う。「ユキ」を見て楽しむのは暖国育ちである。雪国の人は、そうでない。「一昼夜に積る所六七尺より一丈に至る時あり。往古より今年にいたるまで此雪此国に降らざる事なし」(北越雪譜)と言う所では、雪は苦しみである。この冬の早い初雪や豪雪を喜んだのはスキー関係の者ぐらいだろう◆森敦の芥川賞作品「月山」の中の場面だが、山形県の山奥の破れ寺のじさまが氷雨の中で雷を聞いて「おらほうだば、こげだ雪を『雪おろし』というなだて。こん夜あたり、ここらの山も白くなるんであんめえか」と言う。果たして夜の雪となる。バスも通わなくなり、雪に閉ざされた十王峠をカラスが足跡を残して越える。カラスとは、密造酒の運搬人のことで、ヤミ酒を入れたゴムの水まくらを背負い、それを隠すため黒いマントを着ているからだそうな◆生死の中の雪ふりしきる(山頭火)。
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