023 点描
出典:朝日新聞 昭和49年2月9日(土)
 第七十回芥川・直木賞の授賞式が六日夕、東京・新橋の第一ホテルで行われた。今回の受賞者は芥川賞が「月山」の森敷(六一)、「草のつるぎ」の野呂邦暢(三六)の二氏、直木賞は該当作がなかった。
 「今回は日野啓三、金鶴泳氏ら、ほかのときなら受賞しておかしくないようなよい作品がひしめいていて、選考に難航した。ぼくなど先生と呼ばねばいけないおとしの森さんに芥川賞はおかしいとの意見もあったが、森さんの文章力はおでんにたとえるなら中まで汁がしみ通っている感じのもので群を抜いており、落とすわけにはいかなかった。野呂さんは過去何度か芥川賞の“落第生”になっているが、受賞作はいままでになくナイーブな感受性の感じられる気持ちよい作品だった」と、選考委員を代表して安岡章太郎氏。
 次いで両受賞者が謝辞を述べたが、自衛隊員時代の体験を受賞作に書いた野呂氏が「名誉ある賞をけがさぬよういいかげんな作品は書くまいと決意している」ときまじめ一方のあいさつをしたのに対し、森氏は、壇上から手を振るなど余裕たっぷり。「この年齢になれば、いい作品をといわれたって無理だけど、悪いといったって、まあそこそこのものは書くわけだし……」。新人らしからぬことをするりといってのけ、文壇復帰四十年ぶり、休火山の爆発にたとえられる“怪物”ぶりをのぞかせた。
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