024 余裕たっぷり森氏
出典:新潟日報 昭和49年2月9日(土)
 第七〇回芥川賞・直木賞の贈呈式が六日夕、東京・新橋の第一ホテルで行われだ。
今回の受賞者は芥川賞が、久しぶりの“大型新人”と期待されている「月山」の森敦氏(六二)と、自衛隊を描いた作品「草のつるぎ」を書いた新鋭の野呂邦暢(六二)の二人、直木賞は該当作はなかった。しかし、森氏はマスコミで“風狂の人”などと騒がれているだけにパーティーは約四百人が出席して盛況。
 森氏は黒い背広に白いタートル・ネック、野呂氏は淑子夫人同伴で姿を見せ、それぞれ主宰の日本文学振興会の沢村三木男理事長から賞品の時計と賞金三十万円を手渡された。
 選考委員を代表して安岡章太郎氏が「今回は今までになく、いい作品がそろった。私にとっては“森先生”と言うべき人に、新人賞である芥川賞をさし上げるのはどうかという思いもあった」“月山”は、おでんで言えば、中までつゆがしみ込んだ作品で、他の候補作とは文体の上で断然、懸隔(けんかく)があり、すぐに授賞が決まった。野呂さんはこれまでにないナイーブな感受性が出ていていい作品だ」と紹介。
 これに対して野呂氏は「名誉ある賞を受けて光栄です。賞の名を汚さない作品を書いていきたい」
 森氏は「受賞作はここにいる安岡さんの悪い仲間である古山高麗雄さんにたぶらかされて書いたもの。この年になると、いいものを書けと言われても、そう良いものは書けないが、悪いものを書けと言っても、ある程度のものは書けてしまうんですよ」と余裕を見せていた。
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