031 よみうり寸評
出典:読売新聞 夕刊 昭和49年4月10日(水)
小説「月山」で芥川賞作家となった六十二歳の新進、森教氏は、早朝、電車に乗り、通勤途中、山手線をぐるぐる回りながら原稿を書くと言う。これを聞きつけた国鉄当局が「こんなことを許しているから国鉄は赤字なのだ」と苦い顔で、森氏の勤務先へ電話をした◆当局─モシモシ、森さん。あなたの定期券は調布─飯田橋間でしょう。どうして山手線に乗ってるんですか。困るなァ。森─ハァ、そうですな。山手線は環状線だからぐるぐる回れるんであって、君、東北線に乗ったら青森まで行ってしまうじゃないですか◆当局─あなたはキセルだぞ。人を食った人だ。許せん。反省したまえ。森─君たち、国鉄の人も運賃を払わずに乗ってる。薩摩守みたいなもんだ。サツマイモを食えば出るものは出る。だから黄色い電車(総武線)で降りるんだ、僕は。……国鉄とキセル常習者との間に、こんな問答が交わされたと言うが、また聞きだから真偽は分からない◆春闘共闘委の大木事務局長は「三日間、乗客を無札で電車に乗せる方法で政府に打撃を与えたらどうかと言う話が出ることがあるが、うまくいかない」と言ってるそうだ。六年前の五月、パリのゼネストの時、地下鉄が数時間、無札にしたので、迷惑も忘れた。乗客は、国会議員と同じく、乗り物にタダノリすることを夢見る◆けれど、それはサラリーマンが、女房を働かして自分はなまけ放題の髪結い床の亭主にあこがれるようなもので、しょせん、はかない夢である。
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