032 流動票 大都市の選挙(一部抜粋)
出典:朝日新聞 昭和49年6月3日(月)
 新宿区築土八幡町の小さな印刷工場に勤める森敦さん(六十二)は、絶対に投票しない。それでいて、選挙が実に好きなのである。「たぶん、オリンピックのつぎぐらいにおもしろい社会現象だ」という。開票日には夢中になって、テレビを見る。テレビが終わったら、ラジオを聴く。そして、工場の仲間と「Aが落ちるとは」とか、「Bはうまくやった」などと論じ合う。むろんAやBを、支持しているわけではない。
 小説「月山」の作家として、「反思想的思想」を自称するこの人の、独特な態度とも見える。が、「そればかりではない」と、森さんはいった。
論じることは好き
この町工場に勤める約三十人の工員の多くは、同じように投票しない。しかし、同じように選挙を論じるのが好きなのだ。十年、この工場にいる森さんは、若い仲間たちの気質をよく知っている。その心を、こんなふうに明かす。
 「現状では、だれが出ても、事態はたいして変わらない。それに、ぼく自身は、急激にものの変わるのが好きな方だが、一般の庶民には、あまり急激な変化は困る。ここみたいな零細企業も同じだ。そうした気持ちのあらわれではないか」
 だから、自分のような、自主的「無関心派」の方が、かり出されて投票する選挙民よりは、よほどましな有権者だ、と信じている。
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