043 反響呼ぶ文学組曲 「月山」
出典:神戸新聞 夕刊 昭和51年3月17日(水)
 「月山」(がっさん)という組曲がいま反響を呼んでいる。ごぞんじ、芥川賞受賞の森敦さんの小説の文章そのままを歌ったもの。発売後三週間。シングル盤(四曲)とLP盤(十曲)合わせて一万五千枚が飛ぶように売れている。曲をつけ、歌ったのは名もない神戸のサラリーマン、新井満(まん)さん(二十九)=電通神戸支局、神戸市北区鵯台=。美空ひばりばりに一日でレコーディングを仕上げた精力家だが、いかんせん素人、最後には声もかすれた。そこが幽玄文学と呼ばれる「月山」に妙に符号して、なんとなく歌声からも幽玄の香りらしいものを感じさせるという。“文学と音楽の出合い”から年まれたこの「月山」の魅力を探ってみると…。
 
 死者の行く山“霊山”と恐れられる山形県の月山。ふもとの寺に森さんが入り込み、一冬を過ごし、雪国の自然や村人を、題材に“生”を追求した小説「月山」を新井さんが読んだのは、一昨年の暮れ。
 「頭がガンガン鳴り出すほどのショックを感じた」新井さんは、それまで名前すら知らなかった森さんに電話、翌日には東京へ。森さんの部屋で二人は、新井さんが持って来たシングル・シンガーズの「G線上のアリア」を聴いていた。
 「私の読後感です」
 この一言が六十四歳の作家と、青年コピーライターを結びつけた。十年を一サイクルに放浪の旅をして、時には山奥にわけ入って労働者にもなって生活を続け、いまは四畳半一間の文化住宅に雨風をしのぐ。酒をそばに日々を過ごす森さんと、時代の花形といわれる仕事をする新井さん。父子ほども年齢の違う二人だが、一つの小説を通して単なる作家と読者というワクを越え、互いに「おもしろいやつ」と気が合った。
 そして、半年後。ギター片手に森さんの狭くて薄暗い部屋で二人は酒盛り。酒のつまに新井さんが、知っている限りの歌を歌い尽くした時には、二人ともかなり酔いがまわっていた。新井さんが何気なくそばの本箱から引き出した「月山」を開いた最初のページ。
×× ××
 ながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山がなぜ月の山と呼ばれるかを知りませんでした。(第一章「月の山」・原文より)
 新井さんは、知っているわずかなコードを探って、酔いにまかせギターをつまびき、歌った。「私、音楽はわかりません。でも、歌詞にしたのが私の文章だったということよりも、魂の叫びにも似た、新井さんの澄んだ声に、私自身気付かなかった月山を見せられたんです」森さんはその場で、とりこになってしまった。何度も聞き返すうちにテープに吹き込み、それを「なり振りかまわず」森さんは会う人ごとに聞かせた。やがて、レコード会社の人の耳にも届き、組曲「月山」の誕生となった。
 第一章「月の山」はハミングで姶まり十二弦ギターの音色と共に新井さんの澄んだ声が聞こえてくる。やがてオーケストラが加わり、宗教音楽のように荘厳に響く。
 「私は一度死んだのです」とあっけらかんと言う新井さんは幼い時からしばしば大病をした。大学一年生の時、十二指腸カイヨウを患い手術した後目宅で療養中突然倒れ、まる二日間意識不明に陥った。その体験は強烈に残り、これまで以上に毎日の生活に自分のすべてを燃やすようになった。
 紅葉が一枚一枚舞い落ちる情景をピアノの旋律に託し、三拍子、四拍子と変わり行くリズムは真に美しいつづれ織りを織るよう。第三章「紅葉残響」散り敷いた落葉を踏んで行きながらその一枚を拾うと、蝕(むしば)まれて繊細なレース編みのように葉脈だけになった葉にも、まだいくらかの紅や黄色の部分があって、心地よい残響にも似たものが感じられるのであります(原文より)“蝕まれ”という言葉を繰り返し繰り返し歌う新井さん。故郷は新潟。三歳の時に父親と死別。今年七十歳になる母親ヨシノさんが、一人で信濃川の流れるそばに住んでいる。
 第四章「墨絵之村」。シロホンの軽快なリズムに始まりやがてテンポはスローになり、しだいに消えて行くこの曲はまさしく雪国で働く母親を歌ったものではないのだろうか。
 「童話がとても好きなんです」という新井さんには二歳十一カ月の愛息弦ちゃんがいる。子供のためにギターを手に、知っているわずかなコードを探って「真夜中の赤ん坊」という子守歌を作ったのがそもそもの作曲の始まり。
 第五章「天の夢」は静かに心をこめて祈るように歌い上げ、バックのフルートの音色は聴く人を快いメルヘンの世界に誘ってくれる。
 「いやあ、死ぬ思いでした」実は、即興で作った四曲まではよかったものの、あと六曲を作曲する必要に追られた新井さんは、作曲法の本を買って来るやら、クラシックからお経のレコードまで約百枚を聴くやら「八キロもやせました」という“にわか勉強”
 レコード化の話を持ち出したキングの宣伝課海老原純一氏は「魂を洗う新鮮なものを感じた。本物ですよ。押し付けでない歌と歌手には必ず共感を呼ぶ」と確信、ど素人の新井さんにカケた。
 反響はあった。「琵琶法師による平家物語以来です」と日大の井上謙助教授。「バロック音楽のようです」と二十代の若者がいえば「いや、クラシックです」と中年女性。その受けように世代の差はない。
 「私にも歌わせてもらいたい。おそらく違ったものになりますがね」─ベテラン歌手岸洋子さんも自分の「月山」を創(つく)ろうとしている。また、神戸の洋舞家たちは「月山」を踊りで表現しようと取り組んでいる。
 本物の月山を見ずに小説と組曲から「月山」のレコードジャケットに淡い藍(あい)色でパステル画の月山を描いた長倉祐好さん(二十九)も残る章を絵にしようとしている。
 新井さんをはじめ、編曲した上柴はじめさん、キングレコードのの海老原氏も、ディレクターの森直美さんも偶然、昭和二十一年生まれ。「これは終戦後の混乱期に生まれた者の世代の歌です」と森ディレクター。もう三十歳になるこの世代の求めていた音楽だという。
 レコード会社では追加のプレスを急いでいる。しかし、新井さんは「とても恥ずかしい。この一枚のレコードは、自分の裸の姿なのですから」と突然の“シンガー・ソングライター”の幸運を得たものの、サラリーマンを捨てる気はさらさらない。
 「死にざまは生きざま。だから精いっぱい、自己を表現し尽くしたい。この小説に感動があり、作家の森さんと出会えたから曲にできたまで。人生は一度。シッチャカメッチャカなものと違うのかなあ」と新井さん。
 時にはロック調に、リズムアンドブルースにそしてソウルミュージックのように、あるいは土のにおいがする民謡やお経のようにも聞こえてくる文学組曲「月山」─。
 自作のレコードを前に、新井さんはこう問いかける。「あなたには、どんなメロディーが聞こえてきますか?」。
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