064 新人国記’82 山形県M 出羽三山仰ぎ見て
出典:朝日新聞(夕刊) 昭和57年11月9日
 小説『月山』で八年前、芥川賞を受賞した作家森敦(七〇)は、熊本県出身だが、よく山形県人とまちがえられる。『月山』のほか『鳥海山』など主要な作品が題名通り山形に舞台をとり、文中で土地の方言を使いこなしているからだ。森自身も、「山形は故郷のように懐かしい」と口にする。
 終戦の年、食糧難もあって関西から夫人の故郷の酒田市へ。土地の風光、人情が肌に合い、以後十年、庄内各地を転々。『月山』執筆の基礎になった体験──月山の山ふところの破れ寺、注連寺で、ひと冬を過ごしたのも当時のことだ。
 古来、死者の行く、あの世の山とされた月山。雪を頂く山容のこの世ならぬ美しさ、真冬の吹き(吹雪)のすさまじさ。その山間の小集落にも一つの宇宙があり、破れ寺を訪れる「じさま」や「ばさま」との夢幻的な語らいを通して、「私」は「天の夢」を見る……。『月山』は森の人柄同様、ひょうひょうとして幽遠、不思議な味わいを持つ作品だ。
 旧制一高を中退、横光利一らと交友を結び、二十二歳の時、処女作『酩酊船』が毎日新聞に連載された。その後、東大寺にこもったり、土木関係の仕事につくなどして、ずっと沈黙を守る。還暦を過ぎての芥川賞受賞でオールド新人と騒がれ、四十年ぶりに文壇に返り咲くが、「焦燥感はなかった。人生で一番重要なことは、輪廻(りんね)の道を悟ることですから」。
 森の『月山』を、「日本人の山に対する信仰を端的に表現した最初の小説」と高く評価するのが、鶴岡市在住の民俗学者戸川安章(七六)。若いころは自ら山伏として修行を積み、著書『出羽三山修験道の研究』で柳田国男賞受賞。
 山岳信仰のメッカ、羽黒山で修行する山伏は今、神道、仏教両方で百五十人。その最古参で「女山伏」第一号にも当たるのが、寒河江市に祈祷(きとう)所を開く地蔵院妙照(七三)。家庭の主婦だった終戦直後、もろもろの悩み事から信仰にすがろうと修験の道へ。当時女人禁制だった羽黒山から入峰を断られ、二十二年冬、天童市の山中で百日間の荒行を積む。三年後、禁制が解けた羽黒山に入り、念願の山伏に。
 「荒行をいくら積もうと、法力のつく人はたんとはいない。邪心のある人には、神は宿りません」。その法力を目当てに、祈祷所への来客が日に二、三十人。悩み事は縁談、家庭不和、病気など。精神不安定の時代相を映し、心の病に悩む相談事も多い。
 民話と伝承の宝庫でもある山形県の民俗研究家に、南陽市の武田正(五二)、山形市の江口文四郎(五四)がいる。「雪深く人情素朴な最上、米沢地方は、本格的な昔話の伝承。都市化が進む村山、庄内地方は、笑い話の創造、と民話の特徴に二色ある」と武田は言う。江口は著書『村のことば』で、古くからの伝承──村人の暮らしと哀歓の背後に潜むものに、鋭い洞察力を見せる。画文集『ふるさとの四季』で山形の古い習俗、人情を詩情豊かにとらえた画家石丸弥平(五八)は、尾花沢市出身。
 月山を仰ぎ見て育った一人に、櫛引町出身の元横綱柏戸、現相撲協会理事・審判部長の鏡山剛(四四)がいる。この夏も、部屋の弟子たちを引き連れて帰郷し、合宿をした。「田舎に近づくと、ひとりでに浮き浮きしてくる。里の様子こそ変わっても、月山だけは変わりませんから」
 現役時代は柔の大鵬、剛の柏戸と並び称され、大相撲の歴史に残る華やかな柏鵬時代を築いた。立ち合い一気のすさまじい出足で相手を圧倒する豪快な強さ。半面、よく故障に泣き、もろさが同居した。相撲そのままに淡泊でぶっきらぼうな性格は、庄内人の典型といわれる。「親方稼業には、現役時代にない気苦労がある。今の子は素直だが、過保護で育ってるから根性がない。じれったくなります」
(敬称略)
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