080 野間文芸賞・同新人賞贈呈式開かれる
出典:週刊読書人 昭和63年1月11日
 第四十回野間文芸賞と第九回野間文芸新人賞(いずれも野間奉公会主催)の贈呈式が、野間奉公会の母体である講談社の創立記念日の十二月十七日東京・丸の内の東京会館で行われた。今年の受賞者は野間文芸賞に『われ逝くもののごとく』の森教氏、同文芸新人賞に『ヴェクサシオン』の新井満の二氏。
 野間賞の選考委員を代表して、安岡章太郎氏は「森さんの文章は最初の一行目から実在感があり、読んでいる間中、東北訛の言葉が頭の中にがんがんひびいてくるようです。要するに、ある日本海岸の東北の港町が戦争によっては崩れずに、ある戦後の状況の中でサーッと音もなく見事に崩れていくところに私は類のない感銘を受けた」作品だと語った。
 つづいて新人賞の方は川村二郎氏が選考委員の代表として立った。川村氏は「『ヴェクサシオン』はエリック・サティの同名の曲は単純で音が自己顕示的でない、むしろ沈黙に限りなく近いものだが、その感じを作品に反映していて全体に音楽がしみこんでいる作品で、すっきりと仕上った洗錬された味わいがある」とのべた。
 これを受けて壇上に上った森氏はまず、装幀を担当した司修氏と何の打合せもなく曼荼羅の世界を装幀に反映してもらったことに感謝し、同氏の眼力に感心したことをのべたあと、ポロヴドールの話にうつり「五〇メートルの径をもったドーム形をなしていて、そのまわりをまわりながら上にあがっていくのだけれども、その上っていくのが善財童子といいます。それを具象化したものがポロヴドールであって、私の作品もそのつもりでした。サキという女の子ですがずっと上がっていって、一番頂上に上がったときに天空になった。天空になったということは私以外になにものもなしということです。そこで最後に私が出てきたわけです。あの私はサキでもよければ、善財童子であっても、なんでもいい、そういう骨格をもったものです」と語りさらに宗教観・倫理観の関係を語った。
 次に新井氏は、贈呈式当日午前中の千葉県東方沖地震時に散髪屋でヒゲをそられていたことをユーモアをまじえて語り、さらに森氏との関係を「十一年前、テレビCFの撮影ではじめて会い、そのあとの酒の席で、森さんは“新井君、なかなか才能のありそうな顔をしている”“人のおだてにのれないやつはまともな男じゃない”といった言葉で人生が一変しました。同じ会場で同じ名前を冠した賞をいただくことは、なにか人生の不思議なめぐりあわせを感じます。いろんな芸術ジャンルをめぐってきましたが、言語表現による芸術である文学にたどりついた」と語った。
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