090 「月山」で芥川賞 森敦さん死去
出典:産経新聞 平成元年7月30日(日)
 小説「月山」で六十一歳の時、第七十回芥川賞を受けた作家の森敦(もり・あつし)さんが二十九日午後五時四十三分、脳血栓のため、東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。七十七歳だった。自宅は新宿区市谷田町三ノ二○、葬儀・告別式は本人の遺志で執り行わない。
 森氏は最近、肝臓や足が悪く入退院を繰り返していた。二十九日夕、自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれたが、すでに心臓が停止していた。養女の富子(とみこ)さんと二人暮らしだった。
 森氏は旧制一高文科中退。在学中に校友会誌に発表した処女作が菊池寛に認められ、横光利一に師事した。結婚後の三十三歳ごろから放浪生活に入り、鶴岡、酒田、朝日村七五三掛(しめかけ)など庄内平野を転々とした。
 とくに、朝日村七五三掛の注連寺には、三十九歳のころ、約十カ月間滞在。付近の住民とのかかわり合いが小説「月山」で結実。昭和四十八年に発表したこの作品で第七十回芥川賞を受賞した。
 受賞後は東京に転居し、「文壇意外史」「鳥海山」「われ逝くもののごとく」、対談集「一即一切、一切即一」、芭蕉の「奥の細道」の跡をたどった「われもまたおくのほそ道」を次々に発表。最近作では「浄土」がある。
 
昔の文士の感じ
作家・瀬戸内寂聴さんの話 「昔の文士という感じの方でした。一度、雑誌で対談したことがありますが、話し好きな方で、一人で文学や人生について話しておられたのを覚えています。ご自分の生き方や文学について、とても自信を持っておられました。一昨年、お誘いを受けて月山祭にうかがった折、土地の人たちから絶大な敬愛を受けておられたご様子が忘れられません。このところ、作家が次々と亡くなるにつけ、惜しい文学者のごめい福を祈ります」
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