091 森敦さん死去 77歳 放浪の末、61歳で芥川賞
出典:東京新聞 平成元年7月30日(日)
 作家の森敦(もり・あつし)氏は二十九日午後五時四十二分、心不全のため東京都新宿区河田町の東京女子医大病院で死去した。七十七歳。熊本県出身。白宅は同区市谷田町二ノ二〇。告別式は本人の遺志により行わない。遺族は養女の富子(とみこ)さん。
 同四時すぎ、自宅で容体が急変、家族の要請により救急車で同病院に搬送された。
 明治四十五年、天草諸島生まれ。京城中学から旧制一高に進んだが、「大学は出たけれど」の時代で中退。横光利一に師事し、昭和九年、その推薦で毎日新聞に「酩酊船」を連載した。太宰治、檀一雄らと同人誌「青い花」の創刊にも加わったが、作品は書かず、放浪生活を送った。四十八年、四十年の沈黙を破って発表した「月山」は、清れつな作風で第七十回芥川賞を受賞。「六十一歳の“新進作家”」とか「放浪の果ての復活」などと騒がれた。
 以後「鳥海山」や、独特の言語・宇宙論を著した「意味の変容」「わが青春わが放浪」などを発表。おかっぱ頭と独特のユーモラスな口調でテレビ・ラジオでも活躍した。六十二年には「われ逝くもののごとく」で野間文芸賞を受けた。
 ことし六月末、短編集「浄土」を刊行、「文学界」八月号から小説「君、笑フコト莫カレ」を新しく連載スタートしたばかりだった。
 沈黙時代の森氏の隠れた功績は当時の新人作家たちの作品を読み、的確な指摘をして多くの作家たちを世に送ったこと。小島信夫、三好徹両氏らがその代表で最近では新井満氏も弟子の一人だった。
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