093 「月山」で芥川賞受賞 作家森敦さん死去
出典:西日本新聞 平成元年7月30日(日)
 「月山」や「われ逝くもののごとく」などで知られ、芥川賞の最高齢受賞作家、森敦(もり・あつし)氏が二十九日午後五時四十三分、脳血栓のため、東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。七十七歳。長崎市出身。自宅は東京都新宿区市谷田町三ノニ〇。葬儀・告別式は本人の遺志により行わない。遺族は養女の富子(とみこ)さん。
 森氏は七月上旬、体調を崩し別の病院に入院したが、一週問ほどで回復して退院したばかりだった。高血圧症の持病があり、同日午後四時すぎ自宅で倒れ、救急車で東京女子医大病院に運ばれたが、間もなく死亡した。
 旧制一高中退。横光利一に師事、横光の推薦で昭和九年、二十二歳の若さで「酩酊船」を毎日新聞に連載、太宰治、檀一雄らと同人誌「青い花」を創刊。しかし、作品は発表せず、日本各地を放浪した。
 戦後は長い沈黙の後四十七年同人誌「ポリタイア」に「天上の眺め」などの短編を発表。翌年「季刊芸術」に発表した中編「月山」で昭和四十九年、六十二歳の時、第七十回芥川賞を受賞。還暦を過ぎた“新人作家”の登場、として大きな話題になった。
 沈黙時代の森氏の隠れた功績は当時の新人作家たちの作品を読み、的確な指摘をして多くの作家たちを世に送ったことだ。小島信夫、三好徹両氏らがその代表で最近では新井満氏も弟子の一人。芥川賞受賞時の記者会見にも小島、三好両氏と同席したほどだ。
 その後も独特の言語・宇宙論「意味の変容」などを発表。六十二年には港町を舞台に、町の崩壊を密教の曼陀羅(まんだら)世界に重ね合わせた長編「われ逝くものごとく」を発表、野間文芸賞を受けた。
 ことし六月末、短編集「浄土」を刊行、「文学界」八月号から小説「君、笑フコト莫カレ」を新しく連載スタートしたばかりだった。昭和五十一年度から九州芸術祭文学賞の審査員を務めた。
 
 作家・北川晃二さんの話
 
森さんとは同人誌「ポリタイア」の同人仲間で、十数年来の付き合いです。今年三月、喜寿のお祝いに上京した時もお元気で、一カ月ほど前、電話で「“君、笑フコト莫カレ”では、日本文学になかったようなユーモア小説を書く」と張り切っていた。期待していたのに突然亡くなるなんて約束違反だ。
(筑紫市)
九州の新人を発掘
“業”なかばで倒れる
 森さんといえば、だれもが名作「月山」を思い出すだろう。この作品は、諫早市在住の故野呂邦暢さんの「草のつるぎ」とともに芥川賞を受けた。六十二歳での受賞だった。両作品とも張りのある感性を示しており、野呂さんは受験生のような、森さんは旧制高校生のような雰囲気を漂わせていたことで、どこか似通っていた。その「月山」にちなむ月山祭が毎年八月末、月山のふもと山形県朝日村で開かれる。もちろん主役は森さんである。森さんに「ことしは来てくれるでしょうね」と念を押された矢先の訃報だ。悔いが残ってしまった。
 森さんは不思議な人であった。十年働いて十年遊ぶという生活信条をかたくなに守ってきたこともさることながら、いろんな人が森さんの周囲に集まった。その中からハードボイルド作家の勝目梓、芥川賞をとった新井満さんらが才能を開花させていった。
 新人発掘の意味を持つ九州芸術祭文学賞の選考会でも森さんの指摘は的確だった。村田喜代子、岩森道子さんらの才能をいち早く見抜いたのは森さんである。
 「今度の連載は楽しみにしていて下さい」と話した作品が、文学界八月号から始まった「君、笑フコト莫カレ」だった。これは「月山」以来の重厚な作風とは一転して喜劇を目指したものだった。それもついに未完に終わる。業なかばに倒れるのは何も青年だけではない。森さんはそのことを教えてくれたような気がする。
(竹原元凱記者)
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