105 蓋棺録
出典:文藝春秋 平成元年十月号 平成元年10月1日
 昭和三十年代のころ、どこかに放浪のすごい作家がいるらしい、そういう伝説というか、うわさが新聞記者、雑誌編集者、作家の間で広まっていたことがある。
 紀州の山奥のダム工事現場で土方をしていたり、東北のどこかの寺に住みこんでいたり、またどこかへふらりと行ってしまうという伝説だった。
 その文学たるや、清冽、雄渾、旧制一高を出たとか出ないとか、脱俗、骨太の超人らしい。戦前、秀れた作品を発表していたが、その後、筆を折り、現世を捨ててしまったというような話だった。
 それが、森敦だった。一九一二(明45)年生まれ、長崎県出身、旧制一高文科中退。在学中から校友会雑誌に作品を発表し、菊池寛や横光利一のところへ出入りしていた。しかし、在学中に漁船に乗り組んで樺太へ行ったり、山中を放浪したりして、一高もやめてしまった。一九三四(昭9)年、横光の推薦で、毎日新聞に「酩酊船(よいどれぶね)」を連載し、太宰治、檀一雄らと同人誌「青い花」創刊に加わるが、そのあと、文壇というか、俗世から消えてしまった。
 昭和四十年代ごろから、少しずつ森の消息がわかって来た。東京に戻って来て、印刷会社で仕事をしている森と時間をともにする若い作家たちも出て来た。
 そうして一九七三(昭48)年、庄内平野を舞台にした小説「月山」が芥川賞を受賞し、四十年ぶりの文壇復帰、最年長の受賞、「オールド新人」と話題を呼んだ。「受賞して困ったことに年齢がわかってしまったよ」と笑った。六十一歳だった。ー九八七(昭62)年、また庄内平野を舞台に長編「われ逝くもののごとく」で野間文芸賞を受けた。なにしろ、作品の秀れていることとは別に、審査員のほうが弱輩であったりして、話題になった。「ぼくは六十歳まで各地を放浪して歩いた。六十ー歳のとき小説『月山』を書いた。芥川賞を受賞したら、なんでこんな将来のない年寄りに賞なんかやるんだと思った。『方丈記』のように、山に入って小屋をつくって住んでみたい。自分で自分を捨てることが理想なんです」
 と、朝日新聞の「余白を語る」欄で、そう語った。長編小説「われ逝くもののごとく」の最後に「ああ、世は夢か幻か」と書いた。
 森は、かねがね、「宗教的儀式は行なわないでほしい」と話していた通り、葬儀、告別式はとり行なわれなかった。森敦は、そもそも幻だったのではないか。(7月29日没、腹部大動脈瘤破裂、77歳)
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