107 風車 森敦と横光利一
出典:西日本新聞(夕刊) 平成元年10月2日(月)
 七月二十九日に急逝した作家・森敦さんをしのぶ会が先月二十六日、東京・丸の内の東京会館で開かれた。
 森さんは昭和九年、横光利一の推薦で東京日日新聞に「酩酊船」を連載、実質的なデビューを飾った。東京会館は横光がその祝賀会を開いたところでもある。
 横光との親交は、森さんが横光の息子の家庭教師を務めたことがきっかけだと聞いたが、森さんがどのくらい横光に傾倒していたかは、ついに聞けなかった。ただ横光の話になると、森さんはまぶしいような恥ずかしいような笑みを浮かべ、横光の日常生活をあれこれとなく話した。
 「酩酊船」から「月山」まで約四十年の空白があるが、その間の一時期、森さんは新潟や山形県内を転々としている。「月山」は山形県注連寺での体験を小説化した。
 その山形・庄内は、昭和二十年、横光が疎開し、敗戦の痛みをつづった日記「夜の靴」重んだ場所でもあった。
 森さんが山形を転々とした心情のうちに、横光のそうした姿が投影していたのかどうかは分からない。ただ森さんは常づね「僕らがやろうとしているのは、誰か先人が試みていますねぇ」と話していた。
 森さんは不思議な人だ。しのぶ会の参加者の多彩な顔ぶれにも、それが表れていたが、生地も霧の中に隠れようとしている。
 新潮日本文学辞典など多くの資料が熊本県生まれとしているが、そこは本籍地で、生まれは長崎市である。養女の富子さんは「父の誤った伝説が生まれようとしていて、それが怖い」と話した。森さんが横光への傾倒ぶりを話さなかったのは、評価の分かれる横光に誤った伝説ができるのを恐れていたからかもしれない。
                                              (四紀)
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