(文 森富子)
Part 12
*記念の白色花瓶 *ネクタイ@ *ネクタイA *広辞苑 *敷き針
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*記念の白色花瓶
 側面に「芥川賞・直木賞100回記念展 主催 日本近代文学館 日本文学振興会」とある。展示された『月山』の自筆原稿は、原稿が行方不明であったため、冒頭の何枚かを森敦が原稿用紙に書いたものである。なお、行方不明であった『月山』の自筆原稿は、森敦が死亡する半年前に戻ってきた。「なつかしいなあ!」と手に取って眺めていた。

*ネクタイ@
 見るからに物のない時代に求めたネクタイだ。地味で流行遅れのネクタイ三本を大事に持ち続けたが、どんな背広、ワイシャツに合わせたのだろうか。

*ネクタイA
 左は、近代印刷に勤め始めたころにしていたネクタイ。しかし、勤めの緊張感がなくなるとノーネクタイになった。
 右のネクタイと、中央のポケットチーフはセット。これは、昭和49年(1974)「毎日新聞」鳥井守幸特派員とともに、韓国の金鍾泌首相と会見したときの贈り物。

*広辞苑
 広辞苑は4冊ある。使い込んで表紙がこわれ、修理して使った。活字の大きな第二版補訂版が出てすぐ購入したが、重すぎて使用に耐えられず、一週間にして書棚の飾りものになった。辞典・辞書が大好きで、書棚5段ほどを占領した。

*敷き針
 畳を敷いたり、持ち上げたりするとき、畳に突き刺して使うもの。
 新宿区市谷田町に移って数年ほど過ぎたころ、ダニ騒動が起きた。掃除を嫌った書斎は、埃と塵で汚く、机上は煙草の灰だらけ、窓は開けずというありさま。娘の富子の皮膚に湿疹が出たとき、医者に診断を仰ぐと「ダニです」と言われ、それを報告すると「ぼくも、全身にぽつぽつできて、かゆい」と、肌を見せた。客に迷惑をかけないためにも、畳を日光に当てることになり、専門店で敷き針を買い求めた。ダニ騒動にこりても、「きれいなところでは考えごとも、執筆もできない」と言って、書斎の掃除を嫌った。旧制一高時代に、汚い部屋で勉学と思索をした寮生活での習慣から抜け出せなかった。
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