070 森 敦氏 「われ逝くもののごとく」
   なつかしい日本人
   楽しい大乗仏教小説
   日本独自の安心の姿描く
真継 伸彦(作家)
出典:読売新聞 夕刊 昭和62年6月23日(火)、24日(水)
質量とも重厚な長編
 連載が完結すると、作者に加筆の意志がない場合は、すぐに雑誌の編集部から、全編の複写が時評担当者のもとへ送られてくる。加筆の意志があれば、その旨が伝えられる。担当者はその時は単行本の出版を待ち、書評をそちらの専門家にゆだねる場合もある。が、重複しても、この欄でぜひ紹介したい作品はある。
 今月はそういう一冊に、今年七十五歳になる森敦氏の「われ逝くもののごとく」(講談社)があった。「群像」に本年四月号まで、丸三年にわたって連載されたものである。完成作は六百八十八頁、枚数にして一千四百枚を超える、質量ともに重厚な長編小説である。
 題名は、作者が愛する山形県の、庄内平野の海岸の洞穴で、犬とともに暮らしていた正体不明の人物の自称である。当人は物語の表面に明瞭な姿を見せず、しかも前半で姿を消してしまうのだが、その後、自分も「われ逝くもののごとく」であると言いだす人物が、続々登場するのである。すなわち、この題名の含意には、死んだフリをして生きようとする、日本仏教独自の安心の姿があるのであって、作者はこの安心の実態、言いかえれば、日本人の精神の根源にあるものを、ここで克明に描きだそうとしたのである。
 その物語は、リアリズムとロマンチシズムが、面白いバランスをとって進行してゆく。たとえば、羽越本線を北上する車窓から見える庄内平野をはじめ、舞台となる風景は、次のようにきわめて写実的に描かれる。
 「最上川は豊かに流れて庄内平野を両分し、酒田で海に入る大河であります。すでに右手後方に遠ざかろうとする月山を見るあたり、最上川の南側を河南と呼び、代わって右前方からようやく鳥海山の迫り来るあたり、最上川の北側を河北と呼びます。河南も河北も点々とむらをなす森を見る一望の青田ですが、河南から河北に入ると、その青田がなんとなく違って来る。耕地が格段に整理されていて、畦が目も遥かに伸びて行き、一点に集まっているように見えます。すなわち、目も遥かな彼方に一点があって、そこから放射状に伸びてきた畦が、車窓をゆるゆると回転して行くようです。しかも、その一点はしばらくはそこにあって動かぬかに見えながら、ふと気がつくといつしか動いてい、そこから伸びてきた放射状の畦が、改めて車窓をゆるゆると回転して行くようです」

善良に描かれる人物
 長塚節をはじゆとするアララギ派の、写生文を思わせる名文を味読していただきたい。
 死んだフリをして生きようとする日本仏教の代表は、浄土教の一派の、一遍上人を開祖とする時宗である。山形県の風土に染みこんでいるのはそれと異なり、衆生済度のために、生きながら自分を木乃伊(ミイラ)に化していった即身仏たちを守護者と信奉する、出羽密教ともいうべき独自の民俗宗教である。その歴史もまた実証的にたどられているのだが、いっぽう、この宗教を支えとして生きている登場人物たちのほうは、地霊のように夢幻的で、そして善良に描かれている。死んだフリをして生きるとは、世のしがらみから脱俗して、人情だけで生きることであるかのように。
 ほんものの宗教者は大愚になってゆくのだが、ここには、月日や時間があるとも思われず、永遠に善良な笑みを浮かべつづけている白痴の女乞食が登場する。酒手の礼に気象だけを予報し、天気のことだけしか語らず、天に最も近いと讃えられる男の乞食がいる。なべて底辺の民衆ほど善良であって、さる不治の病をもつあねま(女郎)は、前借を綺麗に返済したあとで、従容として縊れ死んでゆく。
 「われ逝くもののごとく」生きる者たちは、この女郎のように死に親近している。この小説では、人びとは無造作に続々と死んでゆき、自殺者も多い。あねまの群れの生血を絞り取って生きているはずの女部屋の亭主も、ここでは善良であって、自殺する前には、「絶望したように柔和な笑顔」を浮かべている。
 老齢の作者が、どうしてこのような、不思議な軽みをたたえた大作を仕上げたのだろう? 時代を敗戦直後にとりながら、「この世が大きく変わろうとしていることなどどこ吹く風」とばかりに生きかつ死んでゆく、大勢の人物を造形したこの小説の、梗概さえ今は説明する余裕がない。私は、作者の人生観が凝縮しているかに見える文章を、わずかながら紹介しよう。
「世は夢か幻か」
 「すべて後暗く世を渡る者は親切です」。むろん、小説家もふくめて。
 「お任せしたんださけ、お任せし切るこった。おら十六羅漢を見て、つくづくそげだ気がしたてば。どげだ波風が来ても、おのれを磨り減らすことさえ厭わぬば、そこにそうしていられるもんだとの」
 「ああ、世は夢か幻か」 物語の最後のほうには、「われ逝くもののごとく」のアンチテーゼとして、責任をもって生きつづけようとする篤農家なども登場する。「われ逝くもののごとく」の代表の一人は、兵隊がえりのさる漁師であって、彼は戦死の誤報により、妻が弟と結婚していたことを知ると、文字どおり死んだフリをして、伊豆に移って働く。彼が故郷の友人に書き送った、漁業の喜びを語る長文の手紙は、一編の圧巻の一つであるが、そのように、債権的に生きようとする者たちも、この小説では作者とともに、日本海の真珠色の夕映えの中で、「ああ、世は夢か幻か」と嘆称しつづける。
 本編と同様「ます」口調で語られている小説に、中里介山の自称大乗仏教小説「大菩薩峠」がある。「われ逝くもののごとく」も、土の匂いの濃い東北弁で語られた、善人ばかりが登場する、なつかしく楽しい大乗仏教小説である。なかには「タタリ神となって、民衆を威圧することにより信服させようとする悪僧も登場するのだが、そういう人物は、意図して淡く描かれている。
強制的な木食上人
 現世に幸せをもたらすために、僧たちが多年木食行をつづけ、戦きながら木乃伊(ミイラ)になってゆく。このおそらく日本独自の、それも出羽地方独特のおそるべき代受苦の宗教を取りあげた小説に、今月はもうひとつ、富岡多恵子氏の「雪の仏の物語」(「中央公論」文芸特集夏季号)という短編がある。
 私は、森敦氏のようにこの宗教から独自の想像の世界を紡ぎださず、外側から観察し批判しようとした「雪の仏の物語」からは、木食上人たちは単に自発的な慈悲心からではなく、飢餓に苦しむ民衆から望まれて、たとえば木乃伊を御輿に乗せて城へ直訴にゆくために、強制的に即身仏にさせられたという説を紹介しておこう。森氏も指摘していることだが、たしかに志願者たちには、殺人の罪を犯したり喰いつめたりして、寺の奴(やっこ)となり、立身(!?)のためには、即身仏になるよりほかはなかった下層の民衆が多かったのである。(以下略)
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