079 著者畢生の“曼荼羅”の趣
   森 敦著 われ逝くもののごとく
森川 達也(文芸評論家)
出典:サンケイ新聞 昭和62年7月27日(月)
 総数、実に六八八ページに及ぶこの作品は、雑誌「群像」一九八四年三月号から一九八七年二月号まで、まる三カ年にわたって連載されたものである。いま、手もとにある資料で調べると、作者の生年は一九一二年一月とあるから、満七十二歳から七十五歳にかけて執筆された、驚天の大作品と称して差し支えないだろう。
 氏の文壇デビュー作『月山』がそうであるように、この長編もまた山形県・庄内地方の「方言を使って、現世とも幽界ともさだかならぬ土俗的な味わいで描き上げた」揮身の大作である。しかし、その概要あるいは内容を述べることは、どのように枚数を費やしても、はとんど不可能である、と断言してよいし、また、そういう試みの一切が無意味であるような作品である、と言うはかはない。氏はこう述べている。「物語または筋と呼ばれるものは、なんらかの意味で密接に時間の線上にある。むろん、時間も構造を持っている。しかも、構造は時間なきものと思われがちである。そこで、わたしはわたしなりに、物語または筋をそれらが密接にその線上にあるところの時間を、かりに定義して奥へ奥へと組み立てられる構造とした。奥へ奥へと組み立てられる構造として、果たして時間に立ち向かえるのであろうか」。
 この試みが成功したか、どうか。それは容易に判定し難い。しかし、時間を奥へ奥へと組み立てられる構造として、時間に立ち向かったとき、そこに形而上とも称すべき、ある不可解な「空間」が現出することを、この作品は如実に示している。この不可解な、奇怪な「空間」を、何と呼べばよいのか。それは老年を迎えた一人の作家が、その精神の境界に応じて、その境界の命ずるままに、なりふりかまわず、渾身の力をかたむけ尽くして描きあげた、一個の凄絶かつ壮大な「曼荼羅」ではないのか。
 氏がここ数年来、この国に初めて真言密教の宗教思想を請来した空海─弘法大師に、深く帰依していることは、よく知られている通りである。だとすれば、氏のこの渾身の大作を、氏の描きあげた畢生の「曼荼羅」と称しても、一向に差し支えないだろう。
(講談社・三二〇〇円)
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