089 断層の時代
   ─一九八七年の文学回顧(抜粋)
菅野昭正 
秋山 駿 
川西政明 
出典:海燕 昭和63年2月1日
一九八七年の概観
編集部 きょうは、「一九八七年の文学を振り返って」講評をしていただきたいと思いますが、まず最初に総括的な部分からお話をしていただきたいと思います。
菅野 総括というと、いつの時代もそうなんでしょうが、全体をうまく集約するのはむずかしい。それは毎年同じでしょうが、最近はそういう傾向が目立つ。全体として拡散しているという印象が非常に強いような気がします。
 その大きな要因として、年代、世代によって区切られているということ、言いかえればそこにあるということが考えられる。それはここ数年続いていることだと思いますけれど、特に今年は目立つような気がするんです。
 どのくらい前になるか、谷崎潤一郎が『鍵』や『瘋癲老人日記』を書いた時期、あれは老年のセックスの欲望について、観念と行為との距離を扱った老人小説でしたが、そういう老人特有の問題を扱った小説が若い層にも読まれていたし、問題にもされていたことを思いだします。
 また、その時期、若い作家の作品に対して、年長のジェネレーションの作家、批評家、あるいは一般の読者も関心をもっていたし、頭から拒否することなく、読んだり批評したりしていた。そこに相互作用があったと思うんですね。
 いつの時代だって、世代の問題、父と子の問題はありますが、現在のように、頭から拒否したり、ただ、目礼したりするだけで、実質的にほとんどなんの関心もお互いに示さないという状況が目立つことは、少なかったのではないか。総括としては、そういうことを言っておきたいと思います。
 今年の作品については、森敦さんの『われ逝くもののごとく』(講談社)とか小島信夫さんの『寓話』(福武書店)のように、年配の作家で大きな作品を書いた方はもちろんあります。ただ、一般的にいうと、日本の小説家、批評家もそうかもしれませんけど、老い込むのが少し早すぎるのではないか。一般社会では、六十代くらいではまだ働き盛りの感じがしますけれど、小説家は床の間に坐ってしまうというか、あまり活発に作品活動をしなくなる。丸谷才一さんの「樹影譚」(群像4月号)「夢を買ひます」(新潮12月号)のように、今年は短篇小説に力を入れて作品活動をした作家もいるわけですが、全体的に見ると、ある年代以上の作家の活動が少ないということが、どうもさびしいことでした。
 そういう数少ない年長の世代の作家の作品に対して、全くそっぽを向いてしまうのではないかもしれないけれど、若い世代の作家や批評家はなにか、自分たちとは関わりのない問題を扱っているというか、対岸から見ているというか、冷淡すぎる気がするのです。逆にまた、ある一定の年齢以上の作家、批評家、あるいは読者のほうも、若い作家の作品について、頭から拒否反応を示したり、垣根をこしらえたりすることが目立つような気がする。これは文学全休にとって不健全なことなのではないか。
 そういうことがどうして起こるのか。文学以外にもいろんな要因があると思いますが、それも含めて、話せればいいと思いますね。
秋山 今年、急に文芸時評をやりはじめて、今年の特徴として思ったことは、ずいぶん年をとった人たちが長篇をまとめた、作家の一種の到達点を示すような作品を書き、また対照的に、文芸誌の新人賞をとるような新人たちが、作品のできばえとまでは言わないけれども、その作品の内容、扱っているテーマというのがなかなか面白いものが増えてきている。つまり、非常に新しい方がよく活躍している。
 これに比して、文学世代の真ん中が少し色あせて抜け落ちている。つまり、五十代から六十代前半の作家たちの活躍が少し希薄だったという気はしています。
 特に新人の方に目を向けると、いまの小説のごく一般的な書き方、小説とはこういうものだという考え方に対比して、あまりそういうふうに考えなかったような人、職業作家になろうとは思わなかったような人の作品というのが、一種斬新に見える。小説の形態そのものはどく普通の基本的な形のものだけど、それが本当に基本的な形で出されたものだから、かえって光って見えるというのがあったと思うので、そこがもう一つの特徴だったと思います。
 あと、いま一般的にある小説の書き方ということで、一つか二つのことがありますけれども、それは広くいって小説のエッセイ的な部分の扱い方と言っていいと思うんですが、それはまたあとで言います。
川西 全体的な印象から言いますと、その生き方を含めて歴訪小説といった作品が多かったなというのが第一印象としてあります。それは老いも若きも。年長の作家の場合には、ほとんど自分、それから世界を肯定するような、そういうところに出ていっている。
 あと、五十代の人たちも、いままで生の上昇期にあった作家たちが、ちょうど五十から六十代ぐらいになってきて、生の下降期に入ったように意識している。それに対して四十代、これから十年間ぐらいの文学を担ってもらわなければいけない人たちが、いまちょうど迷いの時期にあるのではないかという気がしました。
 それと、四十代から三十代の後半にかけての作家たちと、三十代の前半から二十代にかけての作家たちの中に断層、断絶みたいなものがこれから出てくるのではないか。それをどういうふうにつかまえればいいのか。そういう感想を持ちました。
『われ逝くもののごとく』と
『懐かしい年への手紙』
菅野 森敦さんの『われ逝くもののごとく』は何年かかったんですか、かなり長いことかかったあと、今年で完結した。森さんは再出発が遅かった作家ですから、作家歴からいうとそんなに長くないし、作品の数も多くはないんですが、人間の生涯の意味を究極的に問いつめる形のもの、つまり生の環を完了させる性格の作品を書かれたということですね。仏教、土俗的な思想、あるいは地方的な特殊な地誌と結びつけて、無限につづく循環的な時間を作り出すことに成功している。奥行きが深い小説だと思います。
 細かいことを言うと、作品の中心を支えている人物が、影のなかに止まりすぎているとか、語り手の「私」が、最後の方で大きく前面に現われてくる現われ方とか、問題がありそうですね。それは、小説の形式に対する森さんのこだわりがあるということかもしれません。ですから、形式、構成の面でいろいろ議論しなければいけないことはあるとは思いますけれど、すべての人間の生を包み込むおおきな循環的な時間とでも言えるようなものが非常に濃密に出ている。それは、日本の多くの小説がいろいろ試みてきたことだけど、うまくいかなかった例が多いと思いますが、庄内地方、出羽三山の地霊というか、地域的な雰囲気とよく溶け合って、ユニークな作品になったという気がするんです。
秋山 森さんの小説、それから大江健三郎の小説を読んだときに一つの印象を持ったんです。
 それは、小説というものは、ごく普通に考えた基本的なものというのは、一人の人間が行動して、事件に出会って、それがどうなったかということ。そういうことが書いてあって、それに対していろいろ読者がいろんなふうに考える、解釈するわけですよね。ところが、これは間違いかもしれないけれども、極端にいうと、このごろのある書き方は、森さんと大江さんを一緒にするのはよくないだろうけれども、読者がどう解釈するかということを先取りして小説の中に組み込んでいるという印象を持つんです。だから、小説の書き方がずいぶん複雑になった、あるいは書く行為、制作の手の行為が多層的になったと言えるのかもしれない。しかしそうすると、読者の解釈のさまざまな自由というのが意外に失われるという気がするんです。だから、これらの作品が悪いというのではなくて、しかし、このままでいいのかと、ちょっと疑問形としてずっと思っているわけです。
 その一つの典型として、以前に小島信夫の『別れる理由』というのがありましたけれども、普通は、書かれている小説の光景があって、それに対して無数の読者が無数に考えるものなのに、その考える部分を、読者の解釈の部分を小説の中に組み込んで書くという流れがあるようで、それをちょっと疑問に思っているわけです。
 新人のところで、本当の職業作家になろうと思わない、アマチュア的に書いたという言い方をしましたが、後で作品をだしますが、そういうのが実に鋭い対照をなしていて、小説というのはもっと単純に書くものではないのかと改めて感じたのです。
菅野 いまの問題は、根本的にはフィクション、虚構ということについての、よくいえば反省、悪くいえば自信のなさの反映でもあると思うんです。
 最後のほうでわたしという一人称の語り手の比重が大きくなるということは、そういうことの一つのあらわれだとも考えられる。いろんな人物がみんな、“われ逝くもののごとく”と唱えながら登場しては消えていく世界、この小説の世界をつくりあげているのは一体、なんなのであるか、その基盤はどこにあるのかということについての、作家の反省や懐疑が、小説のなかに割りこみすぎたのではないか。これは森さんという作家個人の問題ではなくて、いまの小説一般の、あるいは近代小説一般の問題でしょうけれど。そこのところの、理論的、原理的なことと、作品の世界をつくることとの、結びつけ方が気になりました。しかし、それがあの小説で出てきたということは、小説一般についての一種の反省材料でもあるし、試金石でもあるという意味でも、貴重な試みだったという気もするんですけれどもね。
川西 私は、あの作品においては、あれが出ざるを得ない書き方になっていると思うんです。ああいう人間たちの間を「私」が隠れた形でずっと一緒に歴訪しながら、最後に「私」が出てきて、みんないいんだということを言わなきゃいけないわけですよ、あの小説の構造からしますと。『われ逝くもののごとく』の場合には、ほとんど死の側から、つまり、死を書くことによって、対になるように生もそこで肯定されるという感じで、ですから、死はすべて平等ということになるわけです。あそこで生きている人たちは、ほとんど死に向かって生きているわけですから、森さんにとっても、ほとんど死の方に寄り添ってずっといっているようなんですね。
 だから、小説のおもしろさということを考えたわけです。『月山』のときには、未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんということでやっていた。今度の『われ逝くもののごとく』では、死を中核とする小説の背後論理というものができた上で書かれているわけです。
 大江健三郎さんの場合でも、ダンテの『神曲』みたいなもの、つまり、地獄めぐりした後は煉獄に行くみたいなものが、自分の小説の背後論理としてできているというふうに思うわけです。そうしますと、『月山』と『われ逝くもののごとく』の小説としてのおもしろさ、そして『万延元年のフットボール』と『懐かしい年への手紙』(講談社)の小説のおもしろさと比べれば、やはり前の方がおもしろいのではないかと思うわけです。
菅野 それは大江さんに関しても森さんに関してもですか。
川西 ええ。
菅野 あれは人間の生だけを書いた小説だと言ったつもりではないです。ただ、小説の中に出てくるのは、それぞれの人間が生きている具体的な場面ですね。生い立ちにいろいろなことがあった女性とか、いろんな人物のそれぞれの生の場面が書きわけてあるわけですけれども、それは単純に生の場面に限られているのではない。日常の時間に縛られている現実の世界の場面に執着しながら、人物たちを動かしている作者が、死に通じているもう一つの世界にそれを結びつけている。ぼくはそれを循環的世界と言ってみたわけだけれど、そういう生死一如のような複眼的な視線で生を見ているということは、いまおっしゃったことと同感です。そしてそこから小説の力が出てきている。
『月山』と比べてどうかというと、『月山』よりも、小説の世界が広がったし、深くもなっている。したがって小説の容量が大きくなっている。それはただ生も知らず死も知らずということと、生死一如の視線との違いだけではなさそうですね。容量が大きくなっている分だけ希薄になっている部分もあるということはできるかもしれない。緊密度からいうと、『月山』の方が緊密だとは思うんですが、小説の世界を広げたという意味では、『月山』から十数年を経て、それに見合って深まった世界だという印象がぼくには非常に強かったですね。
川西 森さんの場合、容量が大きくなって、奥行きも出てきているというのは反対じゃないんです。認めるわけです。ただ、実際問題として、あれは九百枚ぐらいあると思うんですが、途中で退屈なんですよね、小説としては。“われ逝くもののごとく”というのは、吉川幸次郎さんなどの説によると、二つの解釈ができる。非常に悲観的、悲嘆的な面と、宇宙的にみたら希望的だという二面性がある。すべてはとうとうと過ぎ行くもので、「逝く(ゆく)」というのは、「逝く(すく)」という意味であるし、「過ぐ(すぐ)」という意味でもあるし、「助ける」ということもあるでしょう。だから、善男善女ほとんど助けるわけですよね。人間の奥行きは確かに、森さん自体の容量というものが深くなっているのはわかるわけです。だけど、作品の空間というのはもう少しいろいろと激しく動いたり、あるいは微弱に動いたりたくさんあっていいわけでしょう。ところが、『われ逝くもののごとく』を読むぼくの目が同じように流れて、過ぎていってしまうような気がするんです。それはよくわかるんです。そのよくわかるところが不満なんです。
菅野 語り手としては、人間だれしも、結局は同じような苦しみをへて、同じような生の重荷を生きて過ぎていくんだという視点で見ているわけですね。それは小説を支えている基本的な生に対する見方、死に対する考えが、そういうふうになっているんですから、一人一人の人物の差異のほうをもう少しきめ細かく見てゆくほうが、色合いや動きがつくのではないか、という不満が出てくるのはわからないではないんですが、それはこの小説の世界の作り方に対する別の角度からの注文だという気がするんですがね。どの人物も同じように見えてこなければいけないのだから、どうしても同一性の循環にならざるを得ないところがある。あなたとぼくが言っていることはそう違っていることではないと思うんですね。
川西 それは了解します。
菅野 さっき対比的に大江さんの『懐かしい年への手紙』のことが出てきたけれども、確かに、北は山形、南は松山の山の中の、土俗的、地誌的なものを基盤にしているという点は似ているけれども、やはり切りはなして論じたほうがいい。大江さんの小説は、自分のこれまでの作品のこと、学生時代のこと、作家としての生活歴のことも織りこんであり、そこにいろいろな虚構、粉飾があるにしろ、まず根を支えるものは作家自身を通して、現代における生の根拠を探ることだと言わざるを得ない。
 島田雅彦さんが、この小説を評して 大江さん自身の用語をずらしながら、トランス・パーソナルという言葉をつかっているのを見て、うまい言いかえだと感心したんですが、たしかに作者自身として、生の過程の一つの展開点に差し掛かっているという意識が強く働いているんでしょうね。
 ただ、大江さんの場合は、現代社会の全体的な状況を視野において、それとの動的な関係づけのもとでやっているということがある。古めかしい言葉を使うと、そこに作家としての誠実さを見る気がして、それには共感もするし、敬服もするんですが、作品の出来上がりとしてどうか。特に、我々のように、大江さんのデビューのころからの読者としては、もう一つ新しいものを開いて見せてくれたのかどうかとなると、すぐに肯定できない感じがある。そのへんについての感想をいろいろお二人からお聞きしたいですね。
秋山 ふとおもしろいと思ったのは、力のある、そして期待するところの作家が、よい意図の下に作った作品が、同じ一読者として見ると、一体どういうことなのかと疑問の形で見えてくるという小説の書き方の流れがあるみたいですね。
 小説というのは、本当に小学生みたいにいえば、文学のことをなにもよくわからない一般人の普通の読者に小説の光景を伝える、見せてくれる。つまり、読者は、それをあたかも自分のことのように、現実のある事態のように読む。それが小説の第一の働きだったはずだと思うんですけれども、いま言った今年制作された、作者のよい意図に基づいた作品というのは、そうではなくて、小説をずいぶん読み尽くした読者、小説のことは少しはわかっている、考えている読者に向けて書かれているような気がするんですね。つまり、文学とはなにかとか、小説とはなにかということを考えたことのない読者に向かって書かれているのではないという気がするんです。
 そこで今度は小説のエッセイ的部分の使い方ですけれども、森さんの場合に、例えば『月山』、あるいは深沢七郎プラス仏教の作品だと言っていいと思うんですが、その仏教的な意味を説くあたりが、どうも過多にすぎる。人間の動きとか小説の一細部の光景に比して、説明とか与えられる意味が過剰にすぎると思う。
 大江健三郎の方がこの傾向が顕著です。大江さんの小説をいろいろ読んできた、いろんなふうに思ってきた読者に、あの小説のあの登場人物はこうだったのかということを、あまり作者が、複雑な話法で語り過ぎている。『性的人間』や『万延元年のフットボール』は、一つの現実を与えてくれた。しかるに今回は、一体どう理解していいのか。ある作家が、自分が昔に書いた小説のことを、作中人物の扱い方のことを、また十数年たって考える。そのことがまた小説になるというと、一般の普通の読者はついていけないと思うんです。そこに問題があると思うんです、エッセイ的な部分の使い方ですよ。
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