森敦は71歳の昭和58年春、NHKの番組「森敦おくのほそ道行」の録画撮りで、芭蕉の足跡を訪ねた。芭蕉は必死の覚悟を秘めての旅であったという。森敦は弱った足を引きずって、江戸から大垣までの全行程をたどった。歩みながら、芭蕉の『おくのほそ道』の作品構造は、持論の構造論に通じると実感した。それは大いなる収穫となって、『われもまた おくのほそ道』の執筆へと発展して、持論の構造論を使って、『おくのほそ道』を論じた作品となった。
「森敦おくのほそ道」の録画撮りの準備は、ディレクターの伊丹政太郎さんの手で進められた。その用意周到な準備で録画撮りもスムーズに行われた。老体に鞭打って旅ができたのも、伊丹さんの細やかな気遣いのおかげであった。
森敦は感嘆した。「伊丹さんの下準備や調査する能力はすばらしい」と。以下に掲げる写真や資料は、伊丹さんが調査した資料の一部である。これらは、『おくのほそ道』全行程の資料であると考えて掲げることにした。 |