012 人生観照の味わい 森 敦著 月山
出典:朝日新聞 昭和49年3月18日(月)
 さきごろ芥川賞を受けた作品と、その姉妹編にあたる「天沼」を収めた作品集である。なにしろ、六十一歳で受賞したことが前代未聞のうえ当の作家が四十年ちかくもまえ、文壇にちょっと姿を見せたまま、ごく一部の作家仲間のあいだでその才能を高く評価されながら、文学から離れ山河に身をかくしていたという伝説の持ち主だから、ジャーナリズムがほうっておくはずはない。受賞以来どの文芸雑誌も、このひとの旧作を直した短編小説を掲載したのは当然として、それよりも、週刊誌など、いまはマスコミの人気男になっているのは、御時世である。
 だが、作品は作品だから、こういうジャーナリスティックな話題とは別にして、心静かに読んでみれば、およそ当世風のところはなく、いたって古風な小説である。出羽三山のひとつ月山にひとりの男が出かけていって、その山ふところの破れ寺に住み、長い冬の季節を寺のじさま相手に過ごすというだけの筋で、これといった事件もおこらず、人物の出入りもほとんどなくて、およそ小説的輿趣といったものには縁遠い。
 むしろ、この男が、吹きこむ雪と寒さを少しでもやわらげようとして、祈祷(きとう)簿の古紙をはがし、これを一枚一枚はり合わせて、にわか仕立ての蚊帳をつくり、そのなかに入って「なにか自分で紡いだ繭の中にでもいろようで、こうして時を待つうちには、わたしもおのずと変成して、どこかへ飛び立つときが来るような気がするのです」という個所などは、なかなか読ませる。
 半世紀以上もむかしに書かれた宇野浩二の出世作に「蔵の中」という、すぐれた中編小説があるが、説話体という共通の文体のたくみもあって、「月山」には宇野以来のわが「私小説」の遺産となってきた、とぼけた人生観照の味わいが一貫している。
 だが、現代の小説一般のありようからいえば、「月山」はずいぶんズボラな作品というしかない。なぜこの男が山にこもらねばならないのか、まず、この点からして不分間である。「天沼」では、多少こういう人事を丁寧に書こうとしているフシがないでもないが、そうなるとこの作者は不器用だし、自然交感による人生観照の魅力も薄らいでくる。
 作者の観照を表に立てる、いわゆる心境小説は、いまや過去のものである。長い個の隠遁(いんとん)がこの作者の内部で昭和十年代文壇の常套(じょうとう)を純粋培養させ、文壇の小野田少尉として、いま帰還させたのではないか。
                                 (河出書房新社・七八〇円)
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