018 ぶっく  「月山」 森 敦著
   南画思わす筆さばきで“生”描く
出典:夕刊フジ 昭和49年4月21日
 芥川賞受賞作「月山」ほど最近の文壇に話題を投げた作品はない。森敦という老作家が四十年ぶりに復活したというエピソードはともかくとして、この小説には不気味な魅力が潜んでいる。
 話の筋はかんたんで、庄内平野を抱く出羽三山のうち、死の山といわれる月山の麓の古寺に一冬過ごす《私》の心象風景を綴ったもの。しかし中身はまことに濃密で、得もいわれぬ美味がある。
 古寺で中気の老僧のめぐみをうけ、冬の寒さをしのぐために、祈祷簿の和紙で蚊帳(かや)をつくり暮らす、いわば死者の生活に似ている。一方で七五三掛(しめかけ)村落の人たちとの淡い団らんがあり、生の世界を静かに見つめて送る。《私》は幽明境にあり、やがて春がめぐり、下山につく。作者自身が小説の冒頭に記しているように、「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(論語)という感じが実によく出ている。世の中の生きとし生けるものを己れの中に包みこもうとするかのように。
 手法としては、まるで南画のような濃淡の筆さばきがあり、吉行淳之介氏(芥川賞選考委員)によれば、「名状しがたい名文」で、ちょっと若い作家たちには真似できない文体である。
 他に同じ題材を扱った小編「天沼」という作品がある。読者によってはこの小説をはじめに読んで「月山」へ向かった方が、理解しやすいかもしれない。
  (河出書房新牡・七八〇円)
 
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