031 書評  <壁抜け>の忍法
   森 敦 『鳥海山』
平岡 篤頼
出典:群像 昭和49年8月1日
 森敦の方法の特徴は<壁抜け>の忍法であり、彼の四十年にわたる沈黙も、その忍法を修業するための苛烈な沈黙だったのではないかと、先だっても書いたことがあるが、ここに収められた五つの「月山」に先立つ短篇を読んでも、少なくとも「月山」の方法が不意の開眼によって発見された偶然的な着想でないことだけは確認される。
<壁抜け>といったのは、従来劃然と区別され、対立するものと考えられてきたものの間を、彼が悠々と往き来し、区別という<壁>の存在を幻と化してしまうばかりでなく、あげくの果ては、対立する両者が逆のものにすり変わってしまうような幻視の世界に「われわれをいざなうからなのである。写真のネガのように、あっという間に白が黒になり、黒が白になる。
 それは、「こうしてここに来ながら、かえってここにこうしていることが、遠くで夢みた夢の中にいるように思える」とか、「このなだらかな盛り上がりで海も見えぬそのためか、この砂原がなにかもうひとつの世界のようで、山の彼方の弥彦のことどもが、すでに遠い浮世のように思い出される」(「かての花」)とかといった、結語めいた感懐のなかに露顕しているばかりでなく、五つの短篇の字句の端々までを照らしている特殊な光線なのである。
「月山」でも、主人公は自分のいるこの渓谷が月山なのか、なお彼方に月のように見えるのが月山なのか、自分の眼の前で雪に折れながら花を咲かせているのがセロファン菊なのか、あるいはそうしたセロファン菊の夢みた夢の中の雪に自分がいるのではないのか、庫裡の二階で古い祈祷簿を使って、自分がつくっているのは「和紙と糊で固めた部屋」なのか「曠野の中の小屋」なのか、庄内平野を吹きに吹き荒れて独鈷ノ山へと吹き上って来るのは<吹き>なのか自分なのか、といった類いの自問を絶えずくりかえし、「ひとつの天地ともいうべき広大な山ふところ」が、僅か八畳にも満たぬその和紙の蚊帳の中にあるような錯覚に襲われたり、あるいはその蚊帳を「あの朽ち腐って薄笑って見えるミイラの厨子」と感じたり、「天の夢を見るカイコの繭」と感じたりする。
 同じようにして、この五つの短篇のなかでも、夢と現実、過去と現在、彼方とここ、生と死の境界がすべて朧ろになっている。「鴎」の主人公もまた、都会から迎えた友人と話をしているうちに、「あれからS君と話しながら、だんだん夢にはいって来、とうとうこうしてほんとの夢の中に来てしまったのだ」という幻覚に浸され、「天上の眺め」の<わたし>は、幼時に見た京城の路地裏の凧作りの老人が、「わたしたちの迷いこんだ二度と行けそうもないあの宮殿」の庭で、「いまも、あの紫の凧を上げているのだ」と信じずにいられない。
「月山」でも、酒の密造をなりわいとする部落の住民たちは「この世ならぬもの」たちと呼ばれ、主人公に好意を見せる女は「おらももう、この世の者でねえさけの」と言うが、「初真桑」でほ、汽車の中で、死んだじさまの話をして笑うばさまが、主人公にはかえって、「ふとばさまもそうして生きているらしく見せかけている人」のように思えて来るのである。そればかりではない。「もどき、だまし、もどき、だまし」と呟きながら走る汽車に揺られて、いつの間にかあちこちで眠ってしまった乗客たちも、「こうして、だれもがもう人間でなくなろうとしながらも、まだ生きているぞというように、いびきをかいている」。
 そこから当然生じて来るのは、われわれもまた「こうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか」という疑いであり、その背後に、死生一如の仏教的世界観が透けて見えることは言うまでもない。だから、この世界が古めかしく見えることは避けがたいが、それでいて最尖端の新しさをも感じさせるのは、そのような世界観を具現するに適した新しい言語を創造したからではないかと思われる。
 言語と言っては語弊があるかも知れない。もともと、生と死といったような対立概念を表わす言葉はないからである。<生死>という言葉はあっても、それは<生>と<死>を足した別個の概念であって、<生イコール死>を表わすことはできない。言語にとってはつねにA=Aであり、A≠非Aなのである。A=非Aを可能にする言語は果して存在するだろうか。それが今日、洋の東西を問わず、形骸化したリアリズムの桎梏を断ち切ろうとする作家たちが、おのれに問うている最大の課題であろうが、森敦がそこに一つの風穴をあけたような印象を受けるのは何故だろうか。
 それは彼が、一語単位で勝負をせず、文の構成や記述の順序やストーリーの展開、かりにそれをひっくるめて<構造>というとすれば、作品の構造によって勝負しているからであるに違いない。一語でAと非Aとを表わすことはできない。だが、<Aは非Aである>(<現実は夢である><現在は過去である><ここは彼方である><生は死>等々)と執拗に、だがそれとなく、不断に繰り返すことによって、Aは少なくとも完全にAであり得なくなる。それは<もどき、だまし>のAでしかあり得なくなる。そのようにして、たとえば「初真桑」では、鳥海山も<もどき、だましの鳥海山>となり、海も<海らしく>映り、二人の旅廻りの外交販売員の商売も<もどき、だまし>と感じられ、彼らがしゃべる方言も<もどき、だましの方言>と響く。そのうちの一人が「生だというても死のもどき、だまし、死だというてももどき、だましなんでねえでろか。おらアときどき、ふとそんな気がすることがあるもんだけ」と言うが、その言葉すらいかにも<もどき、だまし>と聞こえるところに、この作者の方法の勝利があるのではあるまいか。
(河出書房刊・七八〇円)
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