044 想像を絶する自在な生き方
  森敦著 「わが青春わが放浪」
出典:山形新聞 昭和57年7月26日
 “幻の作家”だった著者が芥川賞を受賞して早くも八年がたつが、その間雑誌や新聞に発表したエッセーをまとめたのが本書である。
 弱冠二十歳にして、毎日新聞に「酩酊船(よいどれぶね)」という小説を、横光利一の推ばんで連載した気鋭の作家が、その後文壇から消え、四十年後に突如、芥川賞作家として再登場したというだけでも劇的でミステリアスな存在だが、その間、著者はどこで何をしていたのか、その空白のかなりの部分をこのエッセー集は埋めてくれる。
 「酩酊船」発表後、著者は檀一雄らと「鷭」という季刊雑誌を出し、次いで「青い空」を刊行するが、間もなく奈良を訪ね、瑜伽山(ゆかやま)に独居する。ここで結婚を約束する本県の女性と出会うが、元来放浪の中にこそ自分の人生を置こうとする著者は、その後漁船に乗って太平洋で暮らしたり、樺太(サハリン)に渡ったりして、結婚したのは数年を経た後となる。
 家庭を持った著者は就職して約十年働くが、やがて妻を伴って山形・庄内地方を十年の間転々と漂泊し、母の死で帰省した後、尾鷲のダム工事現場で約十年働くが、再び新潟・弥彦から庄内の大山町を訪ねて約十年遊ぶというライフスタイルを繰り返した。
 東京に定住するようになったのは、妻の母の死がきっかけで、以来都内の小きな印刷会社に勤めながら、「月山」などの作品を書いて今日に至った─という。
 著者の放浪自在な生き方は、とても常人の想像を絶する。「わたしにとって小説とは私小説からの脱出による新たなるジャンルの開拓ではなく、私小説の変換によってなれる、新たなるジャンルの開拓でなければならなかった」とする文学論をはじめ、交友関係や生活哲学をつづってうむところがなく、また雑誌「青い空」については「檀一雄はこれは太宰治を文壇に出すためにやるのだから目的が達しられれば、一号出しただけでもやめるとハッキリ言っていた」などの新証言もあり、文学史としても興味深い。
(福武書店B6判、四〇〇ページ一、五〇〇円)
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